人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

韓国の金泳三元大統領が、94年に起きた第1次北朝鮮核危機の際、アメリカが北朝鮮の核施設がある寧辺を攻撃する準備をしたが、自分が強く反対したため白紙になったと13日に明らかにした。

金元大統領はこの日、SBSラジオの特別企画「韓国現代史の証言」に出演し、「当時、東海岸には寧辺を攻撃するためにアメリカ海軍の軍艦33隻と航空母艦2隻が来ていた。私は戦争を防がなければという思いで当時のクリントン大統領に電話をして、絶対に反対するという意見を表明した」と話した。

また、「北朝鮮の国境の砲口が韓国に向けられていたので、アメリカが寧辺を攻撃すれば、ソウルは火の海になりかねなかった。そのため、私は強く反対した」と説明した。

さらに「クリントン大統領に、65万の韓国兵士は戦争に参加できないと強く話した。そのとき、私が動かなかったら、多分アメリカは北朝鮮の寧辺を攻撃したに違いない」と述べた。

当時、在韓アメリカ大使を韓国の大統領府に呼んだことについては、「その翌日にアメリカ大使館から非戦闘要員を全員アメリカに帰らせるという内容の発浮ェあると聞いた。そのため、クリントン大統領に電話をして私が反対していることを伝えるように話した」と明らかにした。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

当時、アメリカのホワイトハウスと韓国の大統領府に設けられていたホットラインについては、「クリントン元大統領と秘密の電話をする機会が多かった。そのためか、クリントン大統領に一般の電話ではなく、絶対に盗聴できない電話を設置するのはどうかと言われた。私がそれに同意したのでホワイトハウスと大統領府の間にホットラインが設置された。今もある。しかし、今の大統領はその電話を使っていないと思う」と話した。

また、「その時はアメリカと対話することが非常に多かった。当時約束したのがいつ電話をしても、夜中でも電話に出るということだった。夜中に電話が来ることもあった」と説明した。