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「先生、どうかこの瞬間だけでも足かせをちょっとはずしてください」

母の懇願に警護員のソンヒョクがやれやれという目で見ながら、仕様なさそうに私の手かせ足かせをとってくれた。

「ヨンチュン、ソンWュン、それにクァンイル、僕が来る時まで元気にしてろよ。病気になるなよ!お父さんやお母さんの話をよく聞くんだぞ!僕が出て来るまで、お母さんのことを頼むぞ」

「ジュナ、お母さんの心配はしないで体に気をつけなさい。教化所という所に行ったら、みんな生きて帰って来るのは難しいと言うけれど…。待っているから、死なずに必ず生きて帰って来ないといけません」

友達はもちろん、見送りに来てくれた人全員が心配してくれて、みんなが励ましてくれた。「プァ~ン」警笛が鳴った。私は半分開いた窓から手かせをはめられた手を突き出して、みんなの手をひとつひとつ握ったのだった。

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「皆さん、お体を大切にお暮らしください」

汽車が動き始めると、母は私の手を堅く握ったまま後を追ってきて、「ジュナ~、ジュナ~」と叫んだ。汽車がスピードを上げると、母は私の手をもっと強く握りしめた。

「こうしていては…」と考えると怖くなり、すぐに母の手を振りはなして席に座ってしまった。

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「ジュナー」

その瞬間、この時まで堪えていた嗚咽が一気に漏れた。

母の哀願に満ちた叫びが耳から遠ざかるほど涙が出てきて、視界を遮るので何も見えなくなった。激しい感情が湧き出てきて息がつまって、うまく呼吸ができなかった。誰かが火を付けてタバコを口に押し入れてくれたので、必死に吸い込んだ。

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しばらく涙を流しながらタバコの煙を吸っていたら、少し気分が落ち着いたようだったが、それでもこの裂けそうな胸をどうしたらよいのだろうか。私の心もこれだけ痛いのに、一人しかいない子供を教化所に送る母の心情はいかばかりだろうか。

目に入れても痛くないようだと言って、19年間独身生活を送りながら、ただ私一人だけを見つめて生きてきた母。食べ物がなくて家族全員が一瞬にして飢え死にすることもあった、苦しい苦難の行軍の時代に、飢えて顔がむくんでも、私のお粥にあなたの分を入れてくれた母。そうやってとても大切に育てた愛する子供を、他でもない教化所に送らなければならない母の心情をこれ以上語って、どうなるというのか。

その日駅前で我が子の名前を切なく呼んで、レールの横にうずくまり顔を伏せて泣く母を見て、泣かない人はいなかったそうだ。

意識が戻ったので、新入班長が私をまた新入班に連れて行った。

「この野郎、殴られたら少しは正気づいたか。もうちょっと味わってみるか」

堪えた。いや、堪えなければならなかった。

「少ししおれたようだな。この野郎、新任班長を3年したが、お前みたいな奴は初めてだ。なんで班長に食って掛かるんだ」

そいつはしばらく青筋を立てていたが、罪名は何かと聞いてきた。

「145条2項です」

「ほう、 殺人者だから虎を恐れないで飛び込んだようだな」

それでも堪えた。元気も出なかった。私の名前や住所、年齢、親戚関係を聞いて、文書を作ってさっさと出て行った。

「ジュナ!お前はあそこの一番後ろに行って座れ」

副班長という人が指定した場所に行って座った。髪を刈らなければならないからまた服を脱げと言っている。拘留場にははさみがなかったので、髪を刈らないまま来たのだった。言われるとおりに服を脱いで、はさみを持っている人の前に行って座った。

シャキン、シャキン。知らないうちに涙が出てきた。「なんでこんなことになったのだろうか」自分の髪の毛がそんなにもったいなく感じられたのは初めてだった。すべすべとした坊主頭で座っていたので、窓の隙間から入って来る冷気で頭が冷えた。私の教化所生活はこうして始まった。