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● 1990年代の初頭から現在までの北朝鮮体制

1990年代に入り、北朝鮮社会は再び本質的に変化した。

90年代に入って変化が始まったというよりは、多くのものは60年代末から継続して量的な変化を見せ、遂に質的変化を見せるようになったのだった。その分岐点をどこにとるかはあいまいだが、90年代初頭という点では、時期的に大きな差はない。

軍事独裁体制としての性格を強調しようとすると、91年12月に金正日が人民軍最高司令官になった時や、93年に国防委員長になった時期(核危機が本格的に始まったのも93年)を重視することもでき、正常な国家としての国家体制が崩壊する点を強調すれば、93〜94年の食糧危機が本格的に始まった時期を重視することもできる。

朝鮮労働党は北朝鮮で占める地位と役割と権力が少しずつ弱体化し、90年代に入って金正日の1人独裁体制の道具の一つに転落することになる。

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軍に対する党の牽制や指導の役割は強調されなくなり、軍は党からほとんど独立して、金正日の私軍に完全に転落するようになる。結局、労働党の国家システムで占める地位が軍隊におされるようになった。

金正日はかつて党を通じて軍を掌握する方法と、直接軍を掌握する方法を兼用したが、徐々に、直接軍を掌握する方法だけをとるようになった。政治委員(軍で党の組職を掌握・指導する人)が主導した95年の6軍団クーデター謀議事件が起こった後から、労働党は軍に比べて一層力が弱まった。

金日成、’主体思想’の錯覚の中に生きる

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金正日が全面に押し出した‘先軍政治’という概念も、軍の独立性を一層強化させた。そして60年代末から始まった脱イデオロギー的傾向が徐々に深まり、90年代に入ると共産主義イデオロギーは人々の主要な関心事から完全に遠ざかるようになる。結局、イデオロギーが北朝鮮体制を支える柱のリストから完全に除去された。

イデオロギーを担当した人々は冷や飯を食うことになり、主体思想は一部の第3世界や海外の同胞に対する統一戦線事業と、対南工作事業のためだけに必要な思想として扱われる程度であった。

金日成は主体思想が何かよく分かっていなかったが、自分が主体思想を作ったという錯覚の中で暮らしていたから、主体思想に対して相当な愛情があった。

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しかし、金正日は自分の権力と権威を強化する時期に主体思想がそれなりに必要ではあったが、確固とした金正日体制を構築した後は、主体思想があまり目に入ってこなかった。

したがって、金日成が死んでから主体思想は、北朝鮮社会で形式的にも守ってきたその地位さえ急激に弱まり始めた。97年に(主体思想を実際に作った)黄長ヨプ労働党書記が亡命した後、主体思想は更に排除されるようになった。

国家システムの崩壊

この時期の重要な特徴の一つは、国家のすべてのシステムが崩れ始めたということだ。それ以前から賄賂の慣行はあったが、他の第3世界の国家に比べて、よりひどいとは言えない水準だった。

しかし、90年代に入り、あらゆる分野で賄賂が大っぴらに行き交うようになり、賄賂がなくてはできることがなくなり、北朝鮮の不正腐敗は世界最高水準に達した。

不正腐敗がこれほど甚だしいということは、不正腐敗を見張る国家の機能が完全に崩壊したということを意味する。賄賂をもらって発覚すれば、死刑など、非常に厳しい刑罰で処罰されるが、司法機関もやはり不正腐敗が甚だしく、賄賂をやりとりしてから発覚しても、お金とコネさえあれば、いくらでも免れることができるため、厳しい処罰がそれ以上大きな力を発揮することができない。

この時期の国家システムの崩壊は、すべての面で現われている。

中でも、穀物やその他の生活必需品の不足により、北朝鮮体制を維持する根幹の一つであった配給制度が崩壊した。配給制が崩壊し、数百万人が飢え死にし、居住の移転や移動を極めて制限する北朝鮮社会で数百万人が食糧を得るためにあちこちさすらうのをそのまま眺めるしかない事態が発生するようになった。

それ以前には、国境が厳しく統制されており、あえて国境を越えようと試みる人も極少数だったが、この時期には不法に国境を出入りする人が延べ人員で百万人に迫るほどになった。

北朝鮮政府は初期に不法越境者を残忍に拷問し、処刑するなど、恐怖の雰囲気を醸成したが、恐怖さえも飢え死にしそうな人々を阻むことはできなかった。

元々北朝鮮は、私的な売買を厳格に禁止していたが、この時期になると、国家の配給制度が崩壊したため、私的な売買を阻むことはほとんど不可能になった。したがって、法律では禁止されているが、あちこちで公然と私的売買をする状況が続いた。

この時期の重要な特徴の一つは、偶像化の洗脳作業による、指導者に対する自発的な服従、自発的な尊敬がこれ以上、北朝鮮体制を維持する重要な柱にならなくなったということだ。

もちろん、北朝鮮から脱出した人々は、金日成や金正日に対する他の呼び方を最初に聞いた時ははっと驚き、他の呼び方を容易に口に出すことはできない。これは長い歳月にわたる習慣のためで、自発的な尊敬、自発的な服従に基づいていることはまれで、日増しにその数は減っている。偶像化体制が早い速度で崩壊しているのだ。

北朝鮮の住民は、金正日のあらゆる非理と不道徳についてよく分からないため、偶像化体制が完全に崩壊したと言うのは難しい。しかし、早い速度で偶像化体制が崩壊しているということは確かだ。

どんな国でも、社会に恐怖の雰囲気が蔓延していれば、元々自発的な尊敬心があったとしても、月日が経てば、自発的な尊敬心は弱まり、恐怖心による尊敬の表現が強まるようになる。

結局、尊敬の表現は常にこだまするが、尊敬心は消えて、ただ恐怖心によってのみそのような現象が維持される段階に至るようになる。北朝鮮社会も、ほとんどそうした段階にある。

金正日に対する尊敬の表現は過去と同様に相変らず全国家に響いているものの、それは偶像化による自発的尊敬心よりは主に恐怖心、言い換えれば私がこのような言葉と行動をしなければ不利益を受けるとか、厳しい批判を受けるとか、甚だしくは監獄や政治犯収容所に行くこともあるという考えが常に先行するようになるのだ。(続く)