混雑する車内で上がった悲鳴

食べるものがなく人びとが次から次へと死んでいた90年代中頃、北朝鮮の最高指導者金正日は、合法的な裁判手続きを経ずとも、現場の即決審判で犯罪者を処刑するよう命令を下した。筆者は1996年3月末、両江道(リャンガンド)恵山(ヘサン)の駅頭で行われた恐怖の即決審判を目の当たりにした。

銅の商売で恵山に来ていた私は、家に帰るために恵山駅から平壌行きの列車に乗った。慢性的な電力不足で数日間立ち往生していた列車は、鈴なりの乗客で足の踏み場もないほどだった。

いつ出発するかわからない列車の中で、立ったまま居眠りしていたときのことだった。急に「助けて!」という女性の悲鳴が聞こえた。悲鳴は徐々に大きくなり「どうか一度だけ見逃してください」という哀願に変わった。どうやら男2人に囲まれ、何かされているようだった。女性は周りにいた人びとに狂ったように助けを求めた。しばらくして突然、「バン!」という音とともに、女性のそばで取っ組み合いのケンカが始まった。

ピストルを持った青年に制圧された強盗

3分ほど経って、女性とともに2人の男性がやってきた。「さがれ!道を開けろ!」2人は、男2人を捕まえ、列車から引きずり下ろした。強盗だったようだ。

強盗を捕まえたのは、背が180センチほどの巨体に綿入りの冬服を着て、目出し帽を頭からかぶった青年だった。驚いたのは、青年の手にピストルが握られていたことだ。

「ひざまずけ!」という声に2人の強盗は「許してください。助けてください」と命乞いを始めた。周りには野次馬が集まっていた。青年は、被害女性に事のいきさつを尋ねた。商売で恵山にやってきた女性は、1万北朝鮮ウォン(当時のレートで5000円ほど)相当の中国製衣類を購入し、帰宅する途中だった。

その様子を見ていた強盗は、市場から後をつけ、混雑する列車内で荷物を奪おうとしたのだ。カミソリでリュックサックを切り裂き、中の物を取り出そうとしたところで、女性に気づかれたというわけだ。女性が抵抗したので、カミソリで脅した。

ピストルを持った青年は、強盗に認否を問うた。2人は事実だと認め、許しを請うた。

「人民の名のもとに処断する!」

ピストルを持った2人の青年は野次馬に向かって話しだした。

「私たちは将軍様(金正日)の方針に従って、中央から派遣されてきました」

彼らは、金正日の「無秩序な社会秩序を直すことについての指示」を受けてやって来た特別班(グルパ)のメンバーだったのだ。2人は野次馬にこう問いかけた。

「皆さん、こいつらをどうすべきでしょうか」

驚くべきことに、野次馬は口々に「殺せ!殺せ!」と驚んだのだ。

青年は、強盗に名前、住所、年齢を言わせた。そして、跪く2人の額に銃口を押し当てこう叫んだ。

「社会秩序を混乱させ、婦女子の生命を脅かして、強盗行為をしたお前らを、人民の名のもとに処断する!」

「パン!」という銃声とともに、1人が線路際に転がり落ちた。あたりは血だらけになった。それを目の当たりにしたもう1人の強盗は呆然としていた。

駅の安全員、警務員(憲兵)、保衛小隊の兵士たちが大慌てでやって来た。青年2人は、身分証を見せて悠々と去っていた。警務員も兵士も何も言えず、もう1人の強盗の身柄を確保し、女性を保護し、現場を整理した。

一部始終を見守っていた私は、震えが止まらなかった。法に基づいた取り調べも裁判もなく、その場で銃殺するなんて、北朝鮮以外の国ではないだろう。

法治主義が崩壊した北朝鮮

金正日は、食糧難で混乱に陥った北朝鮮を、このような方法で抑えつけ独裁政権を守ったのだ。各道に「今年は何人処刑せよ」とノルマを割り当てるほどだった。そのせいで、トウモロコシを1袋盗んだという理由で、その場で処刑される人が続出した。

(参考記事:平壌で昨年12月末に住民4人が公開処刑される

犠牲になったのは貧しい庶民だけではない。徐寛熙(ソ・グァンヒ)中央党農業書記は、金正日から食糧難の責任をなすりつけられ、「米国のスパイ」と濡れ衣を着せされ処刑された。

(参考記事:血の粛清「深化組事件」の真実を語る

著者:キム・ミンセ 平安北道(ピョンアンブクト)新義州(シニジュ)出身 脱北後、2005年に韓国に入国

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