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上から続く
私たちをぐるりと取り囲んだ警務員、その中でも警務官(将校)が私たちをじっと睨み、背が高く、古参のように見える私に「君たち、所属はどこか?」と聞いてきた。私はズボンのポケットに手を突っ込んだまま返事もしなかった。

すると急に両目から閃光が走り、耳に高圧電流が流れるようなウィーンという音とひどい痛みが走った。顔のつくりはどうであれ、上等兵の階級章をつけたやつが、北朝鮮軍の誰もが恭順になる警務官の前で、一発お見舞いしたのだ。

そばに立っていたチョ下士がその姿を見て、警務官をなじろうとしたが、後ろにいた警務員に首根っこをつかまれた。しかし、チョ下士は軍団の偵察兵の間で噂になるほどのやつだ。後ろ向きになって一発頭突きを食らわして警務員を倒し、私も立ち向かった警務官の頚動脈(首のわき)にすばやく手刀をおみまいし、再び拳で顔面を強打した。

あっという間に我々は、奇襲攻撃で警務員7人を、反撃する間もなく叩き伏せた。鼻をつまんで顔をしかめて転がったり座りこんだりしている警務員たちを踏みつけ、蹴飛ばして、「走れ」と、一目散に高原市内の路地をすり抜け、5キロほど走った。

高原市内を離れて、元山の方向の坂道を越える時、息を切らしつつ目をやったら、チョ下士が警務員の皮ベルトを抜き取って自分のベルトと取り替えてはめて満足そうにしているのが見えた。更に驚いたことに、トン中士は警務員の弾倉まで一つ手に持っていた。

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「お前、弾倉をどうやって持って来たんだ?」と聞いたら、「後ろから撃ってくるかもしれないと思って、心配で抜いてきたんだけど、見たら弾も入ってなくて捨てられずにそのまま持ってきた」と言った。とにかくその場で、今日の出来事については一切、部隊で口に出さないという約束をして、訓練場に帰還した。

その日の夕方、高原駅の保衛小隊の友人が、旅団の保衛部長のジープに乗って、私たちの訓練場にやって来た。ジープには10リットルの酒だる1個と、80キロはある冷凍の豚が一匹積まれていた。私たちに「お疲れ様」という挨拶のために持ってきたのだった。保衛小隊の友人らはその日、現場で私たちの格闘を小気味よく見守っていて、3年間うずいていた歯を抜いたような爽快感を感じたという。

小隊員らが、豚肉の骨まで煮込んだスープをたらふく食べてから、3日ほど経った日のことだった。

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突然、訓練場にロシア製ジル軍用5トントラックが乗り込んでいた。殺気だった中佐を先頭に25人ほどの警務員がやってきた。

直ちに訓練場に集合命令が下り、私たちは隊列を作って待機した。するとあの日、私に殴られた警務官の中佐と二人の警務員が隊列を回り、一人ずつ顔をよく見はじめた。私たちを探そうとしているのは明らかだった。

彼らの後には顔つきの荒々しい警務官の中佐が、他の20人以上の警務員に付いて回っていた。「こいつだ!」と言えばすぐにでも集団で殴ってくるかのような勢いだった。幸いその日の午前中に、ピョン中佐は玉坪の人民病院に水虫の治療を受けに外出しており、トン中佐とチョ下佐は文川にある海上射撃旅団の友人にガソリンをもらいに外出していていなかった。

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彼らは私に近付いてくるが、私にはどうすることもできなかった。逃げることもできず、とりあえず軍帽を深くかぶって、口を真一文字に結んで、両目で睨みつけるほかなかった。

私の前に来た警務員の顔は、ほお骨が腫れ上がり、まだうみが流れている。別の警務員は耳の下を切ったのか、仰々しく絆創膏を貼っていた。

しばらくして、そいつの白目が大きくなり、警務官に「こいつです」と告げた。警務官の唇も、厚ぼったく腫れ上がっていた。万事休す。

私を睨みつけていた警務員は、突然後ろを向き、こんなことを言い出した。

「似ていると思ったが、よく見たら違う。ここにはいません、中佐同志」

ほお骨が腫れ上がった警務員が悔しそうな表情で、私と自分の上官を見た。「何をしている。行くぞ」と、上官が急き立てた。

上官は私のことを確認したはずなのに、どうして違うと言ったのだろうが、未だもってわからない。もし彼らが、私を逮捕しようとしたら、警務部と部隊の兵士の間で大乱闘が起きていた可能性もあるが、それを警戒してのことだろうか。しばらしくして、彼らは別の部隊へと去っていった。

皆が解散して訓練場の広い庭先に、私一人で呆然と立っていた。滝のような汗が流れ背中はぐっしょり濡れていた。

長期間の訓練が終わった後、部隊では政治講演会が行われる。軍での規律違反の事例など重大な事件が伝えられるが、その日の資料に、私たちがやらかした事件が載っているではないか。その資料は、こう締めくくられていた。

「軍事規律を取り締まる警務員たちを殴ったやつらは、軍法によって処理された」出るのだ。

私は心のなかで笑った。ちなみにこの講演の資料は軍の総政治局が作成して、全軍に同時に配布されるものだ。

後日会った高原の小隊の友人の話では、この事件の後、高原の警務部の連中は、非常に厳しい撃術訓練でしごかれたという。顔を潰された警務部の上層部が、罪なき部下に腹いせをしたのだった。

長い歳月が経った今でも、あの上官がなぜ私を見逃してくれたのか、どうして助けてくれたのか未だにわからない。もしかして、兵役がそろそろ終わる古参兵を捕まえたら、前途ある若者の未来を台無しにしてしまうと考え、プライドを抑えて見逃してくれたのではないかと考えたりもする。

もしあの時連行されていたら、私は一体どうなっていたのだろうか。それを考えて、その上官にいつも感謝している。