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朝鮮人民軍(北朝鮮軍)での生活は、私にとって今も忘れられない思い出だ。韓国にやってきてもう10年以上経つが、決して忘れられない話がある。

1992年の夏、前方軍団内の各偵察部隊(特殊部隊)は、夏の野外訓練を活発に行っていた。

私たちの部隊は、偵察組の長距離無線通信訓練のため、遠く江原道の玉坪(オクピョン、文川<ムンチョン>市のはずれに、咸鏡南道<ハムギョンナムド>との境にある地域)にのある山に、半土窟の分隊用の兵室(兵舎)を築き、本部との交信の訓練をしていた。

前線にばかりいた私たちが、後方に駐屯することになったため、文川や高原(コウォン)の市内によく遊びに出た。江原道のたいくつな山里で毎日荒れたさびしい山ばかりを眺めていた私たちにとって、そこは平壌さえも羨ましくないほどの都会のようだった。

週末。外出許可を取って、高原に遊びに行った。当時、高原駅の隣には108訓練所、第1旅団保衛小隊が駐屯していた。彼らの主な任務は、平壌と茂山(ムサン)、恵山(ヘサン)とを往復する列車に乗り込んで、出張中の兵士や安全員(警察)の検閲(調査)を行うことだった。

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偶然のきっかけで彼らと知り合い、簡単な頼み事をきいてやるうちに徐々に仲良くなっていった。

その頼み事とは、私たちが韓国軍に偽装して浸透する訓練をする時に使う「国軍軍靴」が3足欲しいというものだった。外部での活動が多い保衛小隊の兵士たちは、きらきら輝いて品のある韓国製の軍靴を欲しがる。北朝鮮製より質がよくて軽く、現役の兵士はもちろん、除隊した人や民間人も欲しがるものだった。

私たちは部隊の特性上、韓国軍の装備で完全武装するため、倉庫にある軍靴程度ならちょろまかすことができた。保衛小隊に持っていけば、酒をおごってもらうなど至れり尽くせりのもてなしを受けた。

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そんなある土曜日の夕方、その日も早々に保衛小隊に遊びに行き、お酒も3、4杯ほど回った時だった。保衛小隊の友人がとても深刻そうな表情を浮かべて、また頼みがあると言ってきた。

彼らの頼みとは、高原に駐屯している警務部(憲兵隊)のやつらが憎くてしょうがないから、手を貸して欲しいというものだった。理由は、北朝鮮軍のどこでもそうであるように、保衛小隊と警務部の間に微妙なライバル意識が強く、手を出すには至らなくても摩擦の絶えない犬猿の仲だった。

軍の中でも、保衛小隊と警務部がもっともいかつい部隊であることには違いないが、出された酒を飲んでしまったこともあり、「わかった、手を貸してやる」と承諾してしまった。そのおかげで、保衛小隊が用意した108訓練所保衛部長の軍用ジープにまで乗って、訓練地に戻って来ることができた。

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また、コネのある保衛小隊が持たせてくれた、酒やつまみも楽しみだった。訓練場で飢えている指揮官にとっては、面白くなかっただろう。

翌日、小隊でパンチ力があり太っ腹な咸鏡南道の洪原(ホンウォン)出身のピョン中士(軍曹)、慈江道(チャガンド)中江(チュンガン)出身で、軍団の柔道選手出身のトン中士、そして常に私の影のように付きまとう石というあだなのチョ下士(伍長)の3人を選んで、高原に乗り込んだ。

高原駅は北朝鮮の東海地区の重要な鉄道、道路など交通の要衝で、乗り換え客で常にごった返すところだ。また、周辺には軍部隊も多く、兵士の姿も多い。

日曜日の午前、高原駅の広場はいつものように、列車に乗ろうと改札口に向かう人々、到着した列車から降りて、続々と広場に出る人々でごった返していた。

私は履いていた軍靴を、広場の脇で靴磨きをしているおじさんの前に突き出した。するとビョン中士が、急に広場の真ん中に立って、良い声で趣のある北朝鮮民謡を歌いだした。

通り過ぎる多くの人が立ち止まり、「気でも触れたのか」と思いつつ兵士が歌う様を見つめていた。そんな人達にトン中士とチョ下士がちょっかいを出していた。

それはもちろん、警務部の連中をわざと刺激するためのものだった。前もって約束したとおり、軍帽は斜めにかぶり、軍服もラフに着ていた。また、わざと上等兵の階級章を着けていたが、ひと目見れば古参兵士であることは一目瞭然だった。

しばらくして、通行人を蹴散らして警務員がやってきた。7人はいる。上司(憲兵隊の大尉)までやって来た。彼らは、広場のおばさんや若い女性たち相手に滑稽な節の民謡を披露しているピョン中士の首根っこをつかんで、広場の向かいのアパートの角に連れて行った。私も他の仲間も一緒に引かれて行った。(下に続く

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