苦難の行軍以降、事実上操業がストップしていた咸鏡北道(ハムギョンブクト)清津(チョンジン)市の清津造船所が他の工場と合併して軍需工場になったと米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じている。

清津市内中心部の様子 ©Raymond K. Cunningham, Jr.
清津市内中心部の様子 ©Raymond K. Cunningham, Jr.

巨大造船所、苦難の行軍で没落

清津市の「清津造船所」は、日本の植民地時代に建設された「清津造船鉄工所」「矢倉造船鉄工所」が統合された造船所だ。敷地面積60万平米を誇り、北朝鮮最大の造船所で、かつては従業員数2万人を数えた。

親会社にあたる「咸北清津造船所連合企業所」は、小型の漁船から1万4000トン級の大型貨物船、浚渫船、艦艇に至るまで様々な船舶を建造してきた。

中でも「日用分工場」と呼ばれるドックでは警備艇、魚雷艇、ホーバークラフトの建造し、「129号工場」ではアルミニウム鋼板と魚雷の部品を生産していた。

ところが90年代中盤の苦難の行軍の時期から没落が始まる。

かつて清津造船所で働いていた人によると、その時期に造船所は完全に造船能力を喪失。労働者たちは部品や設備を外して売り払ってしまった。ロシアからコンテナを作って欲しいとの注文が入ったが、鉄板が手に入らず製造ができなかった。

最終的に、「咸北清津造船所連合企業所」は解体され、従業員数も5000人まで減らされた。

国防委員会傘下の軍需工場に、労働者「配給もらえて嬉しい」

その後、清津造船所は2013年に日用品を作る「129号工場」と合併して、北朝鮮国防委員会傘下の第2経済委員会軍需工場になった。

現地の情報筋は「清津造船所は2013年に第2経済委員会内の軍需船舶建造を担当する4総局の傘下に入った。労働者は1000人ほどまでに減らされた」と語った。

現在、造船所では警備艇と6人乗り半潜水艇を建造している。排水量は6トンで海上と海底での隠密行動に使われるとのことだ。

稼働が停止状態だった清津造船所が軍需工場になったことについて労働者たちは歓迎しているとのことだ。食料の配給がまともに受け取れて金日成氏の誕生日などには特別配給ももらえるからというのがその理由だ。