話が逸れたが、いずれにせよ、平成5年(1993年)12月1日の日付が入った警察庁の「マニュアル」が、文中で「送金額、送金方法を含めてその実態については未解明の部分が多い」と説明している通り、この時点での「送金説」は極めて詰めの甘いものでしかなく、憶測ないしは推測の域を出ていなかった。
しかし、朝米激突は不可避かとも思われた情勢の急激な変化の中で、日本の警察当局は「マニュアル」に定めたミッションの実行へと、ためらうことなく突き進んだ。その顛末については、次の機会に解説することにしたい。
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