その他、例えば1989年に平壌で開かれた第13回世界青年学生祭典など、大きな行事に際して別途送金される分や、筆者のような「小口」まで加算しても、年間100億円内外だったと思われる。
もちろん、これも日本のバブル最盛期、ピーク時の数字だ。
1990年代に入ると商工人の献金もみるみる減り、朝銀信用組合の経営が傾き出した頃には、本国への送金どころか組織の維持運営費すらこと欠く有様だった。朝鮮総連中央本部は、年間5?6億円の純利益を稼ぎ出して財政の大きな柱になっていた直営パチンコ店を、切り売りしなければならないほど資金繰りに窮していた。
1999年の何かの記念日に際して訪朝した総連代表団が「5億円を本国に持っていった」という話を、その代表団に参加した商工人から聞いたことがある。
しかし、この前年10月に韓国・現代グループの故鄭周永名誉会長が平壌を訪問、同グループが金剛山観光をスタートさせていたこともあって、すでに北朝鮮の視線は韓国の大手資本からの投資に集中しており、資金源としての朝鮮総連の存在感はほとんどなくなっていた。
ジャパン・マネーはどう使われたのか
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面ところで、朝鮮総連が北朝鮮に送った「ジャパン・マネー」は、どのように使われたのか。「ミサイルや核の開発資金に回されている」というのが通説のように語られているが、事実を知る人は恐らく日本にはいないだろう。北朝鮮の政府や軍部の予算が全体として、どのように調達・構成されているのかがまったく分らないからだ。