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その後、この問題をいかに解決するかは主に、北朝鮮とアメリカとの交渉に委ねられる。行き詰まりと打開が繰り返されるうちに、1993年になると米韓両軍が中止していた大規模演習「チーム・スピリット」を再開させ、北朝鮮が「準戦時体制」を宣布するなどの軍事的示威行為の応酬がなされた。

そして翌1994年6月、アメリカが国連安保理常任理事国などに北朝鮮制裁案を示めすと緊張は最高潮に達し、もはや第2次朝鮮戦争は不可避と思われる一触即発の情勢に発展した。

ちょうどこの時期、日本では、朝鮮総連が北朝鮮に不正送金を行っており、その額は年間6億ドルに達するという「対北600億円送金」説がささやかれていた。

核問題で北朝鮮に対する包囲網を敷きつつあったアメリカ当局は、これに敏感に反応。米中央情報局(CIA)や議会、果てはマスコミまでもが、日本政府に対して送金の即時ストップを要求し始めた。こうした求めに応じ警察庁で練られたのが、朝鮮総連に対する「捜査マニュアル」なのである。

「送金疑惑」を総連が自ら解説

ところで、こうした動きについて朝鮮総連はどのように受け止めていたのか。機関紙の朝鮮新報は1997年5月2日付で、当時を振り返って次のように解説している。

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