専門家ならばもうお気づきだろうが、今年の北朝鮮の新年共同社説は、本当に「お粗末な」内容だった。注目を引く内容がほとんどなかった。
共同社説に登場した「朝鮮半島の非核化」という表現をめぐり、「北朝鮮がアメリカとの核交渉の意志を明らかにしたもの」というふうに報道されたが、それは言っても言わなくても同じ言葉だ。「朝鮮半島の非核化」が、これまで北朝鮮が故障した録音機のように繰返し言ってきた論理ということは、分別のある人ならばすべて知っている。
「朝鮮半島の非核化」は、「朝鮮半島の非核地帯化」(nuclear freezone)を形式的な論理にして、「米朝核軍縮交渉- 米朝平和協定及び、在韓米軍の撤収-米朝修交」のコースを一度進んでみようということだ。
こうした形式的な論理を骨子にし、内容的にはアメリカから核保有国に認定してもらって、在韓米軍の撤収に向かってみようということだ。したがって「朝鮮半島の非核化」は、全く新しい表現というわけではない。
金正日は北朝鮮が国際社会から「核保有国」と認められることが現実的に可能でも、そうでなくても、その方向に核戦略を向けようとしている。また、軍事戦略の情報化・先端化・軽量化の世界的な流れの中、地上軍中心の在韓米軍の撤収が、過去のように決定的な要素にならないにもかかわらず、北朝鮮は「在韓米軍の撤収」をおうむのようにくどくどと繰り返している。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面こうした北朝鮮の対南戦略は、その実現性の可否とは関係なく、また内部的には既に放棄したのかどうか分からないが、少なくとも対外的には修正ができない。それは北朝鮮政権の「存立の根拠」でもあるからだ。
在韓米軍の撤収や国家保安法の撤廃、安全企画部(国家情報院)の廃止などのスローガンをやめてしまった北朝鮮政権を一度想像してみよう。それはよく言われるが、「あんこのないまんじゅう」に過ぎなくなってしまう。また、そのようなスローガンを無くしてしまったら、金日成・金正日政権が朝鮮半島の北で存立することができる根拠も弱まるだけだ。
“ついに、‘理想社会’の入り口に立つようになった”だって?
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面元々新年共同社説には、北朝鮮の住民を対象にした宣伝(propaganda)という目的がある。良く言えば「対内結束用」であり、対住民「嘘教育講座」という部分が大きいと言える。割合を見れば80%以上が北朝鮮の住民を対象にしており、20%程度が中国やアメリカ、韓国を意識している。
これまで共同社説は、言葉には過ぎないが、それでも住民たちに一抹の「泡のような希望」を提供してきた。1998年に強盛大国論が初めて出た時、誰も北朝鮮が本当に強盛大国になるとは信じなかったが、「強盛大国」という新しい造語のため、それでも「新鮮」ではあった。
だが今回の共同社説はしてもそれだけ、しなくてもそれだけの内容に過ぎない。もちろんこの4~5年間、こうした気の抜けた新年の辞が続いて出た。しかし、今回の共同社説のように、これほど味気のないものは初めてだ。何しろ、デイリーNKの新年の辞分析チームから、「これって本当に、金正日の決栽をもらっているの」という冗談まで出たくらいだから。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面どれだけ言うことがなければ、ほとんど1年おきに登場していた「千里馬運動」をまた取り出して、「我々人民は、ついに長年の歳月切望してきた理想社会の入口に立った」という嘘までつくだろうか。40年以上昔の千里馬運動を行えば「理想社会」が来るとは…。崩れかかった家が売れないから、火かき棒でも売るという、金正日政権の裸になった姿がすべて現われた新年の辞だった。
今回の共同社説で特に声を高めていた文章は、韓国政府を「ファッショ独裁」と言った部分だった。韓国政府を指して「ファッショ独裁」と言う表現が、久しぶりに登場した。それ以外には、6.15を実践すれば、言い換えれば「一方的支援」を続ければ「我々の味方」、そうでなければ「悪者」という単純な論理が見られた。
また、「南朝鮮の人民たちは自主、民主、統一のスローガンを掲げて、売国的な保守当局のファッショ統治を掃き捨て、戦争の危険をとり除くための闘争の炎を、一層激しくくべなければならない」と主張し、南南葛藤をけしかけるしたたかさも忘れなかった。
つまり今回の共同社説から、2009年の北朝鮮の対外、対南戦略を類推することはあまり意味がないと思われ、今まで行ってきた対外戦略の延長線上で、北朝鮮の対外、対南戦略を展望する方がよいだろう。
だが「理想社会」云々するほど、住民に対する詐牛s為の濃度がより深刻になったため、「食べて暮らせる人たち」は、2009の1年間、北朝鮮の内部をよく観察することに多くの関心を傾けなければならないだろう。
北朝鮮の内部を観察するために、何か特別な秘法があるわけではない。金正日政権の基本的な特徴を正確に理解した上で、住民たちの意識(要求)の変化や市場を含めた暮らし方の変化、思想・政治・軍事・制度、システム・権力の内部及び、金正日個人に関する変化を察し、総合的に北朝鮮体制の耐久力を判断するべきだろう。判断能力の水準は、結局各自にかかっている。知っている内容から判断することになる。
ここでは、詳細な部分まで言及することは難しいため、 1)思想・政治 2) 経済 3)軍事 4)制度・システム 5)権力の内部の分野に分けて、必要な項目だけ一度提示してみたい。
1) 思想・政治分野 = 金日成・金正日・労働党に対する住民の信頼度、住民の党生活・組職生活での変化、住民の意識(要求)の変化及び、変化の方向(開放に対する要求の水準)、政府の対住民宣伝の方向と内容。
現在、金正日と労働党に対する信頼度はがた落ちしており、郡の党級以下の党組職は、事実上有名無実化している。今年、北朝鮮政府は党組織を取りまとめることに力を注ぐと思われる。
この分野と関連して観察する事件や事故には、金日成の家系の偶像化物の毀損の頻度(年度別)、ビラ事件(内部のビラの存在)、軍と党、行政組職の間の葛藤、住民の小規模な集団行動(市場での抗議など)、集団行動に対する政府の対応方法などだ。
2) 経済分野 = 食糧・油類・ドル確保の水準、軍需経済(ミサイル+在来式武器の販売)の動向、人民経済と市場の実態。
この分野の観察ポイントは、市場の拡大/縮小と、政府の統制の水準、家内工業や個人貿易など、個人領域の経済活動の拡大/縮小、そして物価動向だ。
北朝鮮体制の基本的な特徴は、首領-人民大衆の垂直関係であり、現在この垂直国「を水平関係に転換させるほとんど唯一の動力が市場の拡大である。中でも、個人の小規模貿易と家内工業の拡大が観察ポイントと言える。2008年にある地方で、小規模な私的雇用の形態が現われた。
3) 軍事分野 = 軍糧米の確保の水準(戦時軍糧米と2号倉庫)、人民軍の将軍級、佐級(小・中・上・大佐)の腐敗の水準、ドルの横領、物資の横領、上納国「、上部の指示の履行の可否、対民事件、軍・党・保安省の関係及び、関連する事件、平壌の防御司令部など主要な軍の動向。
90年代半ば以後、濫?Rの糧米を備蓄する2号倉庫の補充はほとんど不可能であり、軍人の家族に対する配給がきちんと行われていない。
軍事分野と関連し、金正日の失脚や死亡前のクーデターなどの異常な活動は、事実上不可能だ。ただ、金正日死亡後の後継告}が長期間不透明で、指導部の混乱が続く場合、軍団・旅団級の野心家たちが登場する可能性も、注意深く観察する必要がある。北朝鮮の軍隊は軍人と武器、そして農業、貿易などで自立した経済力まで持っているからだ。
4)制度・システム分野 = 金正日の指示・お言葉の履行の水準、金正日の側近組職-官僚組職の変化、党・内閣・行政組職の腐敗の水準、各種の動員体制での亀裂現象など。
5) 権力の内部 = 金正日の健康と後継問題、党中央委員会組職指導部の動向、護衛総局の動向、金正日個人の統治資金(宮廷経済)の変化など。
核心となる観察ポイントは、やはり金正日の健康や後継問題と関連した変化だろう。これに関しては、金正男・金ジョンチョル・ジョンウン兄弟の動向、張成沢・金敬姫の動向、張成沢の党中央委組職指導部の掌握の可否などが主要な観察ポイントになるだろう。
北朝鮮体制は以上の分野が相互に作用しながら、時には早く、時にはゆっくり耐久力の低下が見られるはずであり、金正日の死亡など決定的な要因が発生した場合、急激な低下、または新しい局面への進入と、急展開する可能性がある。
北朝鮮体制の耐久力について全体的な指数の範囲を1~5とし、5に上がるほど安定性が、1に下がるほど不安定性(体制の瓦解)が見られるとした場合、現在北朝鮮体制の耐久力は2以下に落ちているというのが筆者の判断だ。
したがって、本コラムを通じて筆者も再三主張してきたが、今は北朝鮮と朝鮮半島の問題について、総合的な大韓民国の国家戦略、未来の朝鮮半島の設計を具体化しておかなければならない時である。
漠然とした、「韓国主導の平和統一」では困る。例えば、「2020 朝鮮半島の姿」とそこに向かう道を探る「地図」(map)を作っておかなければならない。60~70年代に韓国の高度成長戦略の主役だった、オ・ウォンチョル前青瓦台経済首席の表現を借りると、「2020 朝鮮半島」に向かう具体的な「エンジニアリングアプローチ」をあらかじめ作っておかなければならないということだ。
こうした事情にもかかわらず、国会は(=国会議員たちは)理解することができない喧嘩をしている。与党と野党はそれぞれ、政治的な得失を計算しながら争うが、客観的に見る時、両者ともよくない道に行っているようだ。特に野党は、対策もなく滅びる道に向かっているようだ。
争うだけ争ったら、自分がどうして争うのかも分からなくなったりするが、今野党がそうではないかと思う。今野党は、後ろに一歩大きく退いて、朝鮮半島の未来を見る大きな絵を描き、大きなビジョンをまずつかんで国民の前に出せば、次の総選でも大統領選挙でも、期待することができるだろうに、どうして民労党のようにささいなことに命をかけるのか、本当に分かるようで分からない。