北朝鮮は2002年の7・1経済管理改善措置以後、市場経済の要素を部分的に取り入れたが、住民統制のためにこれを現状復帰しようとした。だが、市場経済の流れを戻すことはできないという分析が出ている。
現代経済研究院のシン・ヒムチョル研究員が最近発表した、「北朝鮮の市場経済化の規模の推定と評価」という報告書で、「北朝鮮経済の市場化は、市場経済を部分的に認めた7・1措置以前は地下経済の姿だったが、現在はかなりの部分が公式の部門に吸収されて、今も市場化が続いている」と評価した。
だがこれは、「計画経済の失敗を補う一時的な方策だった」と述べ、「北朝鮮は2005年末に配給制の拡大、畑の耕作の取り締まり、市場の取り締まりなどの計画経済を再び拡大しようとする努力を試みたが、市場化を再度計画経済に戻そうとする試みは、現在までうまく進まないでいる」と指摘した。
シン研究員は北朝鮮の市場経済の規模を推定するために、電力の使用量とGDP(国内総生産)との関連性を活用した。電力の使用量を利用して生産可能な全体のGDPを推定して、ここから現在発表されているGDPを差し引いたら、生産はできたが公式な経路を通じて取り引きされない、非公式部門のGDPの大きさを把握することができるということだ。
この計算方法によると、1990年から2006年まで、北朝鮮の非公式経済の割合はGDP対比平均46.41%で、一番最近の2006年はGDP対比 17.32%だった。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面シン研究員はこれを時期別に分類した時は、「北朝鮮の経済難が始まった期間の1990年から1996年まで、北朝鮮の推定GDPは65億ドル(公式部門が20億ドル、非公式部門が45億ドル)減ったが、この期間の公式部門と非公式部門の市場が全て縮小したことが分かる」と分析した。
更に、「苦難の行軍と言われて北朝鮮の経済難が絶頂に達した1996年から2001年までは、非公式部門の比重が急激に増加する期間」と言い、「公式部門ではGDPが20億ドル減少して、非公式部門では30億ドル増加し、GDPに比べた非公式部門の比重が77%まで増加したという結果が出た」と明らかにした。
だが、「2001年の頂点以後、非公式部門の比重が77%から17%に急激に減少した。これは 2002年に始まった7・1経済管理改善措置と密接な関係があると判断される」と述べ、「7・1措置によって暗市場で行われた取り引きを国家が合法化させることで、非公式部門に存在した75.7億ドルのGDPが公式部門に転換された」と説明した。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面特に、「7・1措置以後現在まで、北朝鮮経済は東欧の体制転換国と比べたら、物価の安定と経済の成長などで、比較的良好な成績が見られる」と述べ、「しかしこうした成果の多くが、韓国と中国の対北支援と貿易に起因した部分が大きいようだ」と指摘した。
更に、「北朝鮮の対中貿易依存度は2002年には32.6%だったが、2005年には52.6%、2007年には67.1%と非常に高い水準」と言い、「この期間、韓国の対北支援もかなり増加して、毎年3千億から4千億以上を支援している」と付け足した。
したがって、「これから北朝鮮経済が持続的に成長するためには、対外的な関係改善を通じた貿易の拡大はもちろん、自主的な技術競争力の強化が必須」と言い、「7・1措置以後も経済成長を続けるためには、資本の蓄積と技術の導入が必要で、少数の国家に依存する国「から脱皮して、自生的に成長することができる動力を用意することが必要」と強調した。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面シン研究員はまた、「大部分の社会主義国が崩壊した現状では、様々な資本主義国との対外貿易の拡大を通じて、資本の蓄積と技術の道入をしなければならないが、北朝鮮にこれを提供することができる相手は韓国だろう」と言い、「韓国との関係でも、低賃金の労働力を通じた単純な交易から脱して、技術や資本の蓄積を目標にする経済協力をしなければならない」と指摘した。