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10年ぶりの政権交代。李明博政府は新たな南北関係に乗り出し、金正日は前の韓国政府と同様、現政府の「手懐け」に熱をあげる気力戦が繰り広げられた。

李明博政府は前政府の失敗を繰り返さないため、「相互主義」に近い原則的な立場に基づく対北政策を推進し、北朝鮮は6・15共同宣言と10・4宣言の履行を要求した。北朝鮮は今年一年間、粘り強く誹謗攻勢を展開し、韓国は柔軟な立場を固守して梗塞状態が続いた。

特に、韓国政府が非核・開放・3000国zで北朝鮮の核と経済協力を連携させようとする方針や、国連の北朝鮮人権決議案に賛成したことなどには、「李明博逆徒」というきつい表現を使った北朝鮮がすぐさま反発し、ついに当局者の追放に続いて開城工団の陸路通行の制限などが盛り込まれた「12・1措置」をとるに至った。

7月に発生した金剛山観光客射殺事件は南北間の緊張を高め、ウォン・ジョンファのスパイ事件は韓国国内の対北世論まで悪化させた。また、金正日健康異常説と対北ビラ問題が南北を強打し、葛藤が続いた。

1. 開くこともできなかった ‘非核・開放・3000’

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李明博政府はスタート直後、金大中-盧武鉉の「太陽政策」を「一方的な支援」と評価し、南北関係の「刷新」に突入した。特に、南北経協を北朝鮮の核の進展状況によって段階的に拡大するという原則と、北朝鮮の人権問題など、金正日政権にとって敏感な事案に対する積極的な介入を宣言した。

新政府が出帆し、最初は沈黙していた北朝鮮は、4月1日付労働新聞の「論評員の文」で李明博大統領を「逆徒」と指称し、李明博政府の対北政策に対して本格的な攻撃に出た。北朝鮮は 6・15と10・4宣言の継承・履行を要求して誹謗攻勢を続け、ついに12月1日に開城工団に対する制限措置まで断行した。

これは南南葛藤を誘発した。「閉鎖論」まで出た統一部では、縮小・維持で一段落したが、長官・教育院長の人選をめぐり、再びうちわもめになった。そのため、「対北政策」を先に立って推進しなければならない「首長」たちが、「政策と能力」ではなく「政治攻勢」によって決まっているという批判が出た。

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統一部の長官に内定したナム・ジュホン氏は、その間の保守的対北朝鮮観に対する野党などの攻勢で、人事聴聞会の1日前に辞退し、統一教育院長に有力視されたホン・クァンヒ安保戦略研究所所長は、6・15共同宣言を「利敵文書」と主張した過去の発言が問題視されて、「太陽政策論者」たちの集中砲火で人選が霧散になった。

2. 北の「通米封南」 vs 南の「韓米同盟」

北朝鮮の核の錐趨竭閧?゚ぐる米朝接触が増え、北朝鮮は韓国を排除するいわゆる「通米封南」戦略のスピードを上げた。北朝鮮の核問題はアメリカと交渉するという戦略による措置だった。これは韓国の核-南北関係連携政策に影響を与え、韓国では旧与党と左派陣営内で、李明博政府の対北強硬政策の転換を要求する声が高まった。

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これを意識したかのように、李明博政府は当選直後にブッシュ大統領を訪問し、ブッシュ大統領も答礼訪問して韓米同盟の堅固さを対内外に誇示した。北朝鮮の核問題でも韓米は事前に意見を調整するなど、声を一つにした。

しかし、アメリカのオバマ次期政府が北朝鮮との直接対話を予告しているため、北朝鮮の「通米封南」戦略は続くと思われる。だが、オバマ政府も韓国との同盟を優先するという原則には変化がないと予想される。特に、人権問題についてはブッシュ政府やオバマ政府の間に大きな差はないと、専門家らは分析している。

3. 北朝鮮の食糧難の真実

国内外の対北支援団体などによって、黄海道で餓死者が発生する消息など、北朝鮮が90年代半ば以後、最悪の食糧難に陥るだろうという主張が出て、一方では北朝鮮の食糧問題が誇張されているという反論も出た。

この過程で韓国政府の対北人道支援問題が急浮上したが、「一方的支援」問題を意識した政府は、「北朝鮮の要請、国民の合意、自然災害」などの対北支援の原則を明らかにして支援を延期した。

その後、人道支援に対する世論が高まると、韓国政府はとうもろこし5万トンの支援を北側に提案したが、北側がこれを拒否して政府間対話の通路も遮断した。一部では、政府が人道支援からも顔を背けているという強い不満が出た。

一方、この期間北朝鮮は金日成-金正日父子の「革命の業績」や「先軍領導」を称える「モザイク壁画」や「革命史跡地」、 「革命史史跡標識碑」など、偶像化の象徴を製作し、建設を続ける政策を推進した。

4. 故パク・ワンジャさん射殺事件と北朝鮮の 「責任逃れ」

7月11日に金剛山を観光していたパク・ワンジャさんが、北朝鮮軍の海岸警戒所付近で銃撃を受けて死亡した。政府の合同調査団は、パクさんが識別が可能な午前5時15分頃に立ち止まっていたか、ゆっくりと歩いていた状態で、100m以内の距離から撃たれたという調査結果を発表した。

これに対して韓国政府が金剛山観光の暫定的な中断を発表すると、北朝鮮はパクさんの死亡に対して「遺憾の意」だけを伝え、責任は観光客にあると主張し、韓国の現場調査の要求を拒否した。また、観光の中断は「挑発」だと批判し、韓国国民の対北世論は更に悪化した。

5. スパイ、ウォン・ジョンファと黄長ヨプ脅迫犯の拘束

8月に発生した「スパイ、ウォン・ジョンファ」事件は、スパイが北朝鮮の国家安全保衛部の指示を受けて脱北者に偽装して韓国に入国し、軍の将校と接触し、軍事機密を入手したことが明らかになった事件だった。「韓国版マタハリ」と言われ、10年間の太陽政策が生んだ新しいスパイという議論が湧き起こった。

ウォン・ジョンファは、元労働党書記である黄長ヨプ氏を追跡したり、軍の将校たちの情報や米軍部隊の位置の情報などを収集し、北側に渡した容疑で、継父のキム・ドンスン(63)、ファン某(26)大尉と共に拘束、起訴された。裁判部は懲役5年の刑を宣告し、ウォン・ジョンファが抗訴を放棄して刑が確定した。

ウォン・ジョンファ事件以後、軍部隊内の偏った北朝鮮認識が問題視され、北朝鮮関連団体である南北共同宣言実践連帯のキム・スンギョ常任代浮など、実践連帯の幹部5人が国家保安法違反の容疑で起訴され、黄長ヨプ「斧脅迫犯」の拘束につながった。韓国国内の反北朝鮮世論が高まり、理念の問題が議論された。

6. 金正日の病気と後継者問題

金正日が8月14日付の軍部隊視察報道を最後に、公開の場から姿を消して広まった健康異常説は、北朝鮮政権樹立60周年(9・9節)の閲兵式にも欠席したことをきっかけに、既成事実になった。

金正日は10月初めに、住民たちのサッカー競技の観覧と軍部隊視察報道をきっかけに、外部活動を再開して「健在」を誇示したが、公開された写真は従来のものと違い、左手の動きがほとんど見られず、脳血管疾患の後遺症があると分析されている。

金正日の健康異常説は、外部の世界で北朝鮮体制の将来に関する議論が交わされるきっかけになった。金正日の息子である正男・ジョンチョル・ジョンウンなどの「3大世襲論」や、妹の夫である張成沢の浮上、集団指導体制などの議論が出た。

北朝鮮が各種の報道機関を動員して、金正日の「写真」を次々と公開し、健在を誇示してはいるが、徹底的な閉鎖社会である北朝鮮の特性上 、「金正日の健康異常」に対する議論は続くと予想される。

7. 南北関係が梗塞する中、議論になった対北ビラ

北朝鮮は10月2日の南北軍事実務接触で、「ビラ」散布の中断を要求し、「開城工団事業に否定的な影響を及ぼす可能性がある」、 「南北関係の全面的な中断」など、警告するような発言を続けた後、軍事分界線の陸路通行制限などが盛り込まれた「12・1措置」を断行した。

地球上最悪の情報遮断国と言われる北朝鮮が、最大の主権である金正日の健康異常や家系などの内容が書かれた「ビラ」が飛ばされると、内部の動揺を憂慮して行動に出たのである。一部では「ビラ」が「核兵器」を圧倒したという評価も聞こえた。

北朝鮮の「ビラ散布中断」の主張は、2004年の盧武鉉政府当時、南北間で採択された「6・4合意書」に含まれた、「軍事分界線地域でのすべての宣伝活動の中止」と「放送と掲示物、電光板、ビラなどを通じた宣伝活動と風船、器具を利用した各種の品物の散布の中止」によるものだ。

だが、北朝鮮も各種のメディアを通じて「李明博逆徒」、「逆賊の一味」などと、現政府に向けた非難を止めていない。むしろ、北朝鮮が政府間の合意事項を破っているのが現状である。

南北関係を解決せざるを得ない政府や与党などの仲裁、野党などの主導で、「ビラ規制法」まで取り上げられ、中断するべきという世論が高まると、民間団体はビラ散布を一時中断したが、北朝鮮の変化が前提にならない限り、いつでも再開されると思われる。

8. 冷却塔爆破とテロ国家指定解除

北朝鮮の核錐随曹フ提出を受け、ブッシュ政府が北朝鮮に対するテロ支援国指定解除の手続きに取り掛かると、北朝鮮は6月27日に寧辺の原子炉の冷却塔の「爆破ショー」を行い、ブッシュ政府に肯定的に回答した。

その後再開された7月の6ヶ国協議の首席代負?kで、 ▲6者の専門家で検証体制を構成して ▲検証措置は施設の訪問、文書の検討、技術人材へのインタビュー及び、6者が満場一致で合意したその他の措置を含めて ▲国際原子力機関(IAEA)が関連検証に対して、諮問と支援を提供することを歓迎するという合意が出た。

だが、核検証議定書にサンプル採取を含める問題から、対北テロ支援国の削除が延期になると、北朝鮮は核施設の不能化中断という「崖っぷち戦術」で対立し、結局10月11日に「サンプル採取は不可」という原則を固守したまま、アメリカにリストから削除させた。

その後、「検証議定書」の準備のために、12月8日に首席代負?kを再開したが、6者間の意見が違うことが確認されただけで閉会となった。当時韓国政府は、それまでの「仲裁者」の姿から脱皮し、対北経済・エネルギー支援と検証議定書の採択を連携する「包括的合意方法」を主張するなど声を高め、北朝鮮は「韓国が妨害師に変身した」と批判した。

9. 国連北朝鮮人権決議案の共同提案と南南葛藤

国連総会は12月18日(現地時間)に本会議を開き、「北朝鮮人権決議案」を 4年連続で採択した。この日の阜?フ結果は、賛成94、反対22、棄権63だった。

韓国は日本や欧州連合(EU)など51ヶ国と一緒に北朝鮮人権決議案の共同提案国として参加し、人権問題を担当する「第3委員会」と本会議に北朝鮮人権決議案を上程した。韓国政府が北朝鮮人権決議案の共同提案国として参加したのは今回が初めてだ。

これに先立ち、韓国政府は2005年に国連総会に上程された決議案の阜?ナ「棄権」を行使し、 2006年には北朝鮮の核実験の断行と、国連のバン・キムン事務総長が出馬するなどの理由から「賛成」したが、2006年には再度「棄権」している。

これについて北朝鮮のパク・ドクフン国連駐在次席大使は「政治的陰謀の産物」と批判して決議案を全面的に拒否し、進歩連帯など親北団体が「対北対決政策」と言い、撤回を強く要求して南南葛藤も生じた。

10. 「12・1措置」で勝負に出た北朝鮮

北朝鮮は6・15、10・4宣言を継承するようにという要求を続け、金正日総書記重病説に対する南側の対応と対北ビラ散布、韓国が国連対北人権決議案の共同提案国になったことなどに反発して、開城観光の中断と開城工団の滞在人員の削減などを含めた「12・1措置」を断行した。

12・1措置には開城工団の南側常駐者を880人に削減して、開城を往き来する京義線の陸路通行の時間帯と、時間帯別の通行可能人員を大幅に減らすなどの内容が記されている。北朝鮮は、12・1措置は「1次的なもの」と明らかにし、後続措置の可能性もほのめかしている。

これによって、開城工団の滞在・通行の追加的制限、西海北方境界線(NLL)などでの軍事的緊張の高まり、軍当局間の通信の遮断、民間の交流の遮断などが予想されている。一部で提起されている「開城工団の閉鎖」の可能性は、開城工団が金づるであると同時に、金正日が直接承認した事業であるため低いと思われる。

北朝鮮が行動に出て、韓国国内の「対北政策を全面的に切り替えよ」という声もますます高まり、しばらく南南葛藤は続くと予想される。だが、李明博大統領が最近、「待つことも時には戦略」と発言したように、政府の対北政策の推進原則も明らかで、しばらく南北間の梗塞は不可避と思われる。