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北朝鮮のメディアが慈江道地域での金正日の現地視察を6日連続報道し、その背景に関心が集まっている。

朝鮮中央通信などが16日から21日まで、金正日が慈江道にある軍部隊を訪問したり、企業所を視察して公演などを観覧したと報道した。金正日が実際にこの地域を6日間視察したのかは確認されていないが、北朝鮮のメディアが6日連続で報道するのは異例である。

8月中旬に脳血管系統の疾患で倒れた金正日は、その後80日近く姿を現わさなかったが、10月以降北朝鮮のメディアを通じて現地視察の様子や写真が公開されている。

だが、現在まで金正日の姿が動画で公開されておらず、国外のメディアを中心に写真操作の議論まで出るなど、金正日の実際の健康状態に対する疑惑は一層増幅した。

一方、これまで平安北道の新義州を1回訪問したという以外、主に平壌付近だけで公開活動を行ってきたため、慈江道への長期間の外遊は、金正日の健康がかなり回復したことを示しているという主張もある。

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これと関連、ティモシー・キーティング米太平洋司令部司令官は18日に、「金正日の健康に問題があると思われるが、北朝鮮を統治している」と明らかにしている。日本の警察庁も最近の金正日の健康状態について、「一定の判断能力を持ったまま、国政運営をしているという見解が有力」と評価した。

◆ 遠く険しい慈江道の現地指導…健康回復と健在を誇示 = 北朝鮮のメディアが6日連続で金正日の動静を報道したとしても、実際は1日、2日程度の活動を数日にわたって報道しただけかも知れない。また、金正日が実際に訪問したのかどうかも確認されていない状態である。

だが、北朝鮮が平壌から汽車で10時間もかかる慈江道地域での、金正日の現地視察を集中的に報道するのには、それなりの理由があるとも北朝鮮専門家は分析している。

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専門家らは今回の報道は、金正日が健康異常説以前の正常な統治の水準に回復したというメッセージを、対内外に伝えるためのものだと考えている。金正日の公開活動の報道が続いているが、健康異常説が騒がれる中、年内に健康に対する対内外的な懸念を払拭する必要が生じたという分析だ。

国家安保統一政策研究所のチャン・チョルヒョン研究員は北朝鮮の相次ぐ金正日現地視察報道に対して、「金正日の健在を誇示するためのもの」と言い、「こうした記事から金正日重病説と関連し、北朝鮮の住民がそれだけ動揺しているということが確認できる。北朝鮮は閉鎖国家というが、外部の情報に動揺するほど制度が弱体化している」と解釈した。

国家安保戦略研究所のイ・ギドン責任研究委員は「過去にもこうした集中的な現地指導はあったが、現在のような健康状態では異例なことだとも思われる」と言い、「平壌から遠く離れており、気温が低いだけでなく、地理的にも険しい慈江道地域を現地指導したというのは、対内政治的な面で宣伝効果を狙ったもの」と分析した。

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一方、韓国政府は金正日のこうした歩みに、大きな意味は置いていないようである。統一部のキム・ホニョン報道官は22日、北朝鮮のメディアが金正日の慈江道現地視察を連続で報道していることと関連し、「特別な意味があるわけではない」と明らかにした。

それではどうして慈江道地域なのだろうか?

慈江道は地形が険しく、軍需工業の施設が密集している地域だ。また、冬には零下20度にもなる酷寒の地である。そのため、金正日も主に夏の間に現地視察という名目でこの地域を訪問し、近くの別荘で休暇を楽しんできたという。

◆ 「カンゲ精神」を強調…北の内部不安を反証 = だが金正日は、今年は1月初めから慈江道を訪問し、経済施設などを視察した。北朝鮮のメディアは12月の視察でも、金正日が軍部隊以外に企業所や陶磁器工場など、各種の経済施設を視察したと報道している。

これは北朝鮮で、金日成生誕100周年であり、金正日が70歳になる2012年を「強盛大国」の元年と設定したことと関係があるというのが専門家らの見解だ。

北朝鮮政府は今年の新年社説で、「強盛大国」建設のために、人民経済の活性化を第1の課題に設定した。しかし、北朝鮮経済は今年一年間、むしろ市場統制が強化され、対外貿易関係が落ち込み、これと言った成果を出すことができていない。

北朝鮮はこれを打開する方法として、国家レベルの経済改革を試みるのではなく、人民ひとりひとりの「自力更正」を再度掲げた。300万人が飢え死にした「苦難の行軍(1990年半ばの大飢餓の期間)」の時期のように、国家の責任は放棄したまま、住民は自分で生活の問題を解決しなさいということである。

脱北者のカン・チョリン(35歳, 慈江道出身)さんは、「苦難の行軍を勝ち抜けた時も、慈江道はたいしたものだと、『慈江道精神』を鼓吹する話が何度も出た」と言い、「国家の情勢が大変だという意味で、新しい局面への転換を打開するための目的として、慈江道を強調しているのだろう」と説明した。

チャン研究員も「金正日は情勢が不安になる度に、慈江道の『カンゲ精神』、すなわち『自力更正』の精神を強調した」と述べ、「つまり北朝鮮はそれだけ困難であるということを訴えていることになる」と話した。

また、「金正日は有事に備えて慈江道を『第2の平壌』にしようとした。そのため、慈江道には地下の坑道や招待所も多い」と言い、「平壌の住民を他の地方よりも優待しているように、慈江道の道民にもそのような忠誠心を植え付けるため」と付け足した。

実際に、金正日は20日に慈江道の「労働階級」との「功勲国家合唱団」の公演の観覧で、「慈江道の労働階級は祖国が最も困難な試練を受けていた苦難の行軍の時期に、『革命の赤い旗』をより高く掲げ、峻厳な難局を打開した英雄的な労働階級」と言い、「当時のその精神、その気迫で強盛大国建設のための銃突撃戦で先鋒の役割を遂行し続けるようにという期待と確信を表明した」と、朝鮮中央通信は伝えた。

北朝鮮労働党の機関紙である労働新聞も6月の報道で、金正日が「苦難の行軍」の時期の1998年1日に慈江道カンゲ市を視察し、中小型の発電所などを建設して経済難を乗り越えた事例をあげて、「慈江道の労働階級のように慈江道の科学者、技術者たちのように、慈江道の担い手(幹部)たちのように奮闘しよう」と力説している。