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主に軽犯罪者を収監する施設だったが、2000年代に入ってから脱北を企てて逮捕されたり中国から強制送還されたりした脱北者を収容する施設へと変わった。

ここの所長を務めていたのはキム・チョルサン大佐。清津市人民保安部の格闘術教官、巡察大隊隊長、機動隊隊長を経て2001年に集結所の所長になった人物だ。

彼が所長になってから咸鏡北道集結所は、北朝鮮にしては収監者の扱いが良好な施設だと評価されていた。咸鏡北道の内部情報筋は彼の人物像を次のように語った。

「キム・チョルサンは心の広い人だった。収監者の便宜を図ったり、貧しい人たちに施しをするいい人だった。一方で物欲が強く、収監者の家族から賄賂を受け取って早期釈放したり楽な農産班で働かせたりした」

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一般住民からは人気がある一方で、幹部たちは彼の人気を激しく妬んでいた。