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晋太郎が「未来の総理」として嘱望されるようになったこの時代、韓国と北朝鮮の国力には今ほど大きな差はなく、両国は冷戦の真っただ中にあって熾烈な体制間競争を繰り広げていた。

韓国では1980年5月に光州事件が発生。軍の介入によって市民に多数の犠牲者が出たことで、クーデターで権力を握った軍事政権に対し、国際社会は厳しい視線を向ける。一方、経済力で韓国に差をつけられつつあった北朝鮮も焦りを募らせていた。巻き返しが思うように行かない危機感の表れか、1983年にはラングーン爆弾テロの暴挙に打って出る。

民団・総連の双方とパイプ

こうした本国の事情は当然、在日本大韓民国民団(以下、民団)や在日本朝鮮人総連合会(以下、朝鮮総連)にも影響を与えた。日本政界のニューリーダーである晋太郎と太いパイプを持つことが、重要な課題となったのだ。

「実際、晋太郎さんは民団とも総連とも全方位で付き合っていました。下関には呂成根(リョ・ソングン)さんという総連の大物商工人がいたのですが、その方とも相当に親しかった」(同前)