韓国の初代大統領・李承晩は1952年、「海洋主権を守る」として日本海と東シナ海に一方的に軍事境界線(李承晩ライン)を引き、排他的経済水域を設定。ここに入った日本の漁船をことごとく拿捕し、約4000人もの船員を抑留した。その大部分が山口県民であり、岸の元には早期救出を求める陳情が殺到したという。
そして、国交正常化と同時に日韓漁業協定が締結され、李承晩ラインが撤廃されると、下関を母港とする漁船団の漁場は一気に拡大。山口県経済の隆盛を呼んだのだ。地元財界人が言う。
「当時、下関に本社のあった大洋漁業(現マルハニチロホールディングス)は、東大卒の新入社員を取り放題というほど勢いがあった。漁業だけでなく関連産業も潤い、巻き網やウインチの製造で世界のトップを占めた会社もある。それらの業者がことごとく岸さんの応援団になり、もちろん献金もした」
暴力団「東声会」会長・町井久之
岸はまた、町井久之をはじめとする在日の有力者とも人脈を広げていた。