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◆ 外交舞台でも神秘主義

金日成と金正日の最も大きな違いは外交政策のスタイルだ。金日成が外交で洗練された活動家というイメージだとすれば、金正日は消極的で隠遁したスタイルを見せている。

金日成は中国と旧ソ連、東ヨーロッパなどの社会主義国と第3世界の非同盟国家との交流に力を注いだ。彼は中国と旧ソ連だけでなく、東南アジアやアフリカまで訪問するなど、非常に活発な外交を行った。1975年4月に中国の北京を訪問し、中国共産党の毛沢東総書記と会談した。それから1ヶ月も経たない5月には、アフリカ5カ国を訪れたほどだ。

1965年には当時のスカルノ大統領の招待でインドネシアを訪問、インドネシア総合大学で名誉博士の学位をもらい、学生たちの前で演説をしたこともある。このとき、金正日が金日成に随行していた。

一方、国際舞台での露出は自分自身の神秘主義や価値を落とすと思った金正日は、中国やロシアだけを訪問するなど、極端に制限された歴訪外交をしている。また、海外訪問の時に飛行機に乗らないのも金正日ならではの特徴だ。彼は平壌からモスクワまで往復2万キロに及ぶ距離を24日もかけて、汽車で行き来した。

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また、父親の金日成にも飛行機に乗らないように引き止めたという。黄長ヨブ(火へんに華)前労働党書記は、金正日はテロを恐れて飛行機に乗らないと言いながら、「金正日が金日成に『飛行機は危ないから汽車に乗ってください』と言った。自分も汽車に乗った。金日成はそんなに怖がり屋ではなかったにもかかわらず、金正日の話を聞いてからは、『腰が痛いから』といって飛行機を控えて汽車に乗っていた」と話した。

かなりの違いが見られる金日成と金正日親子の外交スタイルについて、イ研究委員は「金日成時代は社会主義が崩壊する前だったので、そうした国と友好関係ができた。それを基に幅広く積極的に外交を行った。その代表的な例として、アフリカ諸国との非同盟外交の活性化が挙げられる」と話した。

金日成が当時、国際情勢の影響で包括的で多角的な外交を行ったのと比べて、金正日は核問題で国際的な制裁を受けるなど、国際社会との関係があまり望ましくない状態になった。そのため、本人ができる外交にも限界があったと思われる。結局、中国とロシアとの関係に集中したり、金大中政権以後は韓国との関係に集中したといえる。

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社会主義の崩壊の影響もあったが、北朝鮮も難しい状況のため、非同盟国家に以前のように政治・経済的支援ができなくなったという。アフリカ諸国だけでなく、東南アジアの国々との関係も悪化しているという。

ホ研究委員も「金日成は冷戦の時に、社会主義国家の支援を受けながら、経済を活性化させたが、経済難や外交の行き詰まりなど、対内外的に危機に直面した金正日としては、限界があるとしか思えない」と指摘した。

◆ 人民の中へ…高度な自己演出

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現地指導とは、もともと机上の空論をやめ、関係者が直接現場に行き、事業の実態や問題点を把握し、解決策を模索することを意味する。しかし、今は金日成と金正日特有の、政策指導活動だけを意味する固有名詞になってしまった。首領の領導を偶像化する手段として活用しながら、用語自体が神聖化されている。

韓国・統一研究院のイ・キョドク先任研究委員によると、金日成は生前、約8650日間57万8千キロを移動し、合計2万600ヶ所の機関を訪問したという。また、金日成の1年間の平均的な現地指導の数や日数は、金正日の2倍になるという。金日成は平均2日に1回現地指導をしたが、金正日は4日に1回だという。

現地指導の滞在時間を見ると、金日成と金正日がそれぞれ平均0.42日と0.44日で大体同じだが、現地指導のために移動した距離は金日成が平均28.1キロで金正日の89.9キロより短い。金日成が主に近距離の現地指導を行ったということを示している。

分野別には、金日成は経済や社会など、非軍事分野を主に現地指導したが、金正日は軍事分野に重点を置いたという特徴がある。金正日の現地指導も1994年以前は主に文化芸術分野だったが、金日成の死後は、軍事分野が現地指導の62.6%を占めている。

イ研究委員は「金日成は現地指導を通じて、住民に親しいイメージをアピールしようとした。そのため、経済施設や人民の生活に大きな関心を見せた」と話した。

しかし、「金正日は自分の政治的エネルギーや動力を確保するために現地指導を活用している。金正日が主に軍部隊を訪問したり、公演を観覧したりするのは、現在の国際情勢の影響もあるものの、大変な状況のなかで本人自ら活力を得るためという理由もある」と説明した。

ホ研究委員も「金日成は抗日パルチザン出身で朝鮮戦争を率いた指導者であるため、北朝鮮の住民から自発的な尊敬の念を得ることができた。また、穏やかな性格の人だと言う風に、北朝鮮の住民や世界に見せかけた人だった」と評価した。

「金正日は歴史的経験がないだけでなく、性格的にも金日成より冷たい。そうした性格の違いが現地指導に現われている。金日成は住民との接触に力を注いだが、金正日は軍部隊の訪問などを通じて、力強い指導者像を作ることに努めている」と分析した。