「脱北者が大仰な夢を見ているわけではないですよね。人々と楽しく過ごして人間らしく幸せに暮らしたくて韓国に来たわけですよね。私の生き様が同じ境遇の人々の役立てばいいですね。」
韓国生活13年目の脱北者のユ・グモクさん。市バスの運転手で別に有名人でもお金持ちでもないが、仕事が楽しくて誇らしいと語る。
ユさんは、炭鉱で働いていた夫が刑務所送りになった後生活に困窮して息子を食べさせるために脱北して中国に働きに出た。金がたまったら戻るつもりだったが、息子とは生き別れになってしまった。韓国に来た頃は息子のことを思い出す涙涙の毎日だった。
韓国に来て初めにやったのは建設工事。それから食堂の店員など様々な職を転々とした。辛い仕事に周囲の冷たい目線で苦しい日々だった。酒に溺れてうつ病も患った。死ぬことばかりを考えていたある日、突然息子の消息がわかったとの知らせを受け取った。生き別れになって3年で息子との再会を果たした。その後、夫とも再会した。脱北して10年。ようやく元に家族に戻ることができた。
家族皆でピーナッツ売りを始めた。しかし、それだけでは到底暮らして行けず悩んでいた。ふと横を見るとバスが通り過ぎた。その瞬間、彼女はバスの運転手になろうと決心した。
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ピーナッツ売りをするために2種免許を取っていたので、大型免許を取るのもさほど難しくなかった。就職しようと意気揚々とバス会社を訪ねた。
北朝鮮から来たが、バスの運転手になりたい。そう伝えたところバス会社の人に「まずはマウルバス(コミュニティバス)で経験を積んでからがいい」と別のバス会社を紹介してくれた。
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「面接を受けるためにバス会社に行った時は緊張しました。初めての面接でもないのに」
「面接担当の方に『韓国で苦労されたかわかります』『その勇気がすごい』と言われました。すると緊張が解けたのか涙がこぼれ落ちました」
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夢が叶いはれてバスの運転手になったユさん。陽気で前向きな性格で同僚とも打ち解けられた。10ヶ月でソウル市の環境文化賞を受賞した。自分よりも同僚の方がもっと喜んでくれた。
人々を乗せて街を駆け巡る仕事も好きだし、家族のように接してくれる同僚たちも好きで毎日が楽しいと語るユさん。
「こんなに幸せだったことは今までありませんでした」
「成功はそう大したことではありません。やりたい仕事をやってやりがいと幸せを感じることが成功だと思います」
息子をあえて脱北者の通う学校に通わせなかった彼女。韓国で生き残るには韓国人とぶつかってその考えを知らなければならないと考えたからだ。
「人々と交わってハーモニーが作り出せれば心配はなくなるといつも教えています」
「息子はテコンドと柔道を習って、警察官になるために大学の警察行政学科に進学したんですよ」
「苦しい時に助けてくれた刑事さんたちを見て、息子は警察官になりたいと思ったみたいです」
最後に彼女はこう語った。
「脱北者の皆さん、夢を持って挑戦してください。人生の主人公はあなた自身です。幸せを作るのはあなた自身です」