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息子の学費を稼ぐために脱北した母

韓国の忠清南道(チュンチョンナムド)瑞山(ソサン)。人口数万の小さな町のはずれにあるヒョダム養老院(老人ホーム)はある。

ここで脱北者の女性、ユン・フィスンさんは療法保護士(ヘルパー)として70人のお年寄りのケアをしている。

ユンさんがこのホームにやってきてからすでに4年が経った。ヘルパーではなく娘のような心でお年寄りに接している。まさかこのような仕事につくなんて想像すらしていなかった。

「北朝鮮ではリアカーを引いて米、大豆を売っていました。休まずにあの町この町と売り歩いても暮らし向きはよくなりませんでした。しかも、夫は病気でした。勉強のできる息子にさらに勉強させるための課題遂行費(学費)を稼ぐのも大変でした」

ユンさんには選択の余地がなかった。「中国に行けば大金を稼げる」という噂を聞きつけて国境の川を渡った。当初は、3、4年だけ働いて子供の学費と商売の元手さえ稼いだら帰るつもりだった。

最初は言葉も通じず不法滞在の身でできることは限られていた。畑仕事をしつつ中国生活に慣れて言葉も覚えた。やがて食堂で働くこととなった。

ユンさんは家族のことを思い浮かべて懸命に働いた。その働きぶりで食堂の主人にも気に入られた。しかし、自分の体のことを全く考えていなかった。

「重いものを運んでいたせいか腰を痛めて立っていられなくなりました。片手を腰に当ててもう一方の手で料理を運んでいました。結局は治療を受けるために食堂の仕事をやめざるを得ませんでした」

中国で心も体も傷だらけになり韓国へ

誠実なユンさんは食堂の主人にも気に入られて「治療が終わったらまた戻っておいでよ」と言われた。ユンさんも1ヶ月もすればよくなると思っていたしそのつもりだった。

しかし病状が回復することはなく、結局、食堂はやめざるをえなくなった。食堂の主人にそれを伝えたところ、彼の表情はみるみるうちに変わった。あの優しかった主人の姿はどこにもなかった。

「食堂には1ヶ月分の給料を保証金として預けて辞める時には返してくれることになっていました。ところが、辞めると言ったところ警察(中国公安)に突き出すとえらい剣幕でした」

保証金を返してもらえなかったことより、信じていた人に踵を返されたことにひどく傷ついた。腰に加えて心まで病んでしまった。

「もう中国では暮らせない」

そう思っていた矢先に韓国に先に行っていた義妹からこんな話を聞いた。「韓国に来れば身の安全も保証してくれて家もくれる」と。

中国にいても先はないー。そう思った彼女は、一緒に韓国へ行きたいという人をなんとか集めてブローカーを雇った。

ユンさんの韓国行きはラオス経由だった。中国からラオスの国境を越える時は順調でさほど苦しくなかったが、心も体も病み、あまり食べていなかったために力が出なかった。

ちょっとした下り坂で転んでしまった。脱北を共にした仲間たちは荷物を代わりに持ってあげて、力が出ないユンさんを励ました。そして念願の韓国入りを果たした。

?「70人のお年寄りが私の父母です」

?2009年5月、ハナ院を出たユンさんは瑞山に落ち着いた。人が多くて騒然としたソウルが苦手だった彼女。ハナ院の同室の女性が、瑞山に住むようになった脱北者の知り合いから静かでいいところだと聞いた教えてくれたのがきっかけだった。

彼女はすぐに手当たり次第に仕事を探し始めた。煮干し工場で5日、食堂で1ヶ月、モーテルでも1ヶ月働いた。ところが痛めていた腰と肩がまた言うことを聞かなくなり仕事をやめざるを得なくなった。

「せっかく韓国に来たのに…」

悩んでいたところにヘルパーをしている友人の姿を見て新たな挑戦を始めることにした。

ヘルパーになるには規定の教育を受けて国家試験に受からなければならない。専門学校に通いたかったが学費がなかった。しかし、韓国に来てから出会った男性と結婚し、彼が学費を出してくれることになった。彼女の夢を心から応援してくれる夫。健康問題に加えて2人の息子を残して悲しみに暮れていた彼女に大きな力となった。

北にいる頃は国家試験というものを受けたこともなく初めは用語も全くわからなかったが、たった一度で合格できた。

「特に秘訣なんかありませんよ。授業時間に集中して先生の説明を聞いて、暇さえあれば内容を繰り返し勉強しました。ヘルパーを目指す脱北者にはこの2つさえ守れば大丈夫と伝えてあげたいですね」

合格の知らせを聞いてすぐに仕事を探した。ちょうど地元のヒョダム養老院でヘルパーを募集していた。

養老院の人は脱北者を雇うのは初めてで不安だったとのこと。でも、ユンさんの誠実な働きぶりでその心配もすぐに消えたという。そして、瑞山市長と養老院の院長から表彰された。

ここでの仕事も4年になった。適応できずに養老院を転々とするヘルパーも多い中、ユンさんはずっとヒョダム養老院でお年寄りと楽しく過ごしている。

お年寄りと一緒にいると故郷の北朝鮮で亡くなった両親を思い出し涙ぐむこともあるという。そんな時は、自分が今いるヒョダム養老院のお年寄りを家族だと思うことにしている。

「私の人生のなかで、ここにいる70人以上のお年寄りとの縁はかけがえのないものです。みなさんがアボジ(父)であり、そしてオモニ(母)ですね」