脱北者チェ・ギホさん
脱北者チェ・ギホさん

脱北後の「死ぬ思い」に比べたら

2008年に家族と共に韓国にやってきた脱北者チェ・ギホさん。

マンションの警備員をつとめているが、職場の同僚だけでなくマンションの住民にも一目置かれる存在だ。何事にも積極的に取り組み自分のほうから心を開いて歩み寄った結果だ。

しかし、その過程は容易ではなかった。韓国に来て南北の文化と経済の違いを肌で感じた。職に就くのも簡単ではなかった。それでもチェさんは諦めなかった。大学に通う2人の娘のため、そして脱北して韓国に来る時にブローカーに払った費用を一日も早く返したかった。

チェさんはまず運転免許を取ってハナ院同期の斡旋でトラック・ドライバーになった。北朝鮮で運転した経験が全くなく危険な仕事だったため、家族は「やめほしい」と説得。そしてドライバーはやめた。

その後はパン工場、マンションの電気工事もしながら、お金を稼ぐために一日も休まなかったという。いい仕事が見つからず妻とともに地方に引っ越すことも考えた。しかし、大学に通う子どもたちの世話をするために諦めた。

6人家族を養うためにチェさんには休む暇もなかった。北朝鮮ではそこそこ大きな企業所の管理職だったが、韓国ではたった一人の労働者に過ぎない。

韓国政府の脱北者定着制度に不満を抱いていたこともあった。しかし、北朝鮮を出てから中国で不法滞在者として法の保護を受けられず何度も死にそうな目にあったことや、北朝鮮で無報酬で働いていたことを思いだした。

「北朝鮮の時の苦労に比べたら、このくらいなんてことない」

「万時に感謝、心を開いて歩み寄った」

60代のチェさんにとって新しい挑戦は決して容易なものでなかった。長く続けられる仕事を探していて、ようやくたどり着いたのがマンションの警備員だったという。

初出勤の日から誰に言われなくても積極的に働いた。雪が降り、仕事が多くなる日には勤務時間が終わっても率先して残業をした。

自分が任せられた地域の改善にも取り組んだ。ゴミ捨て場をレンガの壁で覆ってきれいにした。マンションの地下もきれいに整理した。

しかし、どこの会社、どこの組織でもそうであるように、熱心に働けば務まるというものでもない。

「組織生活で最も重要なことは人間関係だということを改めて思ったね。同僚との摩擦、住民や訪問者から受けるストレスでしんどい思いもしたよ」

住民がルールを守らなかったのでとがめたところ、事務所に怒鳴りこまれたこともあった。

「脱北者のアンタが韓国の法律をちゃんと知っているのか」

「入居者にこんな扱いをしていいのか」

マンションの一部住民の心ない言葉と行動に傷つき一人で涙を流したことも一度や二度ではない。そんな時は、家族のことを思って耐えた。脱北者だからいわれのない扱いを受けたのではなく、仕事をする人すべてが経験するものだと思うようにした。

「韓国の人々の助けがあったからこそ、この地で家族と幸せに暮らすことができると、自らを慰めた」

「万事に感謝の心を持って臨み、人々にも心を開いて歩み寄った」

チェさんは働き出してわずか8ヶ月で班長に任じられ、警備と清掃の責任者となった。ところが班長の仕事も楽ではなかった。言うことを聞く部下もいればそうでない部下もいる。 ストレスが溜まったが、率先して人々の心を動かすことで克服した。

「働き始めて1年でマンションは大きく変わった。同僚や住民も努力を認めてくれて心を開いてくれた」

彼の誠実な働きぶりを見ていた会社は、新たに警備員を雇うときには、まず彼の意向を聞くほど信頼するようになった。彼の推薦で何人もの脱北者が職を得ることができた。

南北お互いの「偏見」を変えたい

積極的に誠実に働き続けた結果、マンションの管理事務所から職員になってほしいと依頼を受けた。チェさんは快諾した。住民から何か問題を提起されれば、時間を問わず訪れて問題解決に努力した。

しかし、彼の挑戦はそこで終わったわけではない。チェさんは休みの日を電気技能士などの資格の勉強に費やしている。

「韓国に来て7年。成功したとはまだまだ言えませんが、確実に定着できたと自負しています」

そのおかげで子どもたちは皆大学に進むことができた。

チェさんがここまで真面目に働いた理由は何だろうか。それは脱北者に対する韓国人の偏見をなくし熱心に生きる姿を見せるためだった。チェさんは子どもたちにこう説く。

「脱北者だからと萎縮せず常に自信を持ちなさい。自信はひとりでに湧くもののではない。勉強や仕事を一所懸命してこそ得られるものだ」

「自由な国、韓国で国民の権利ばかり主張するのではなく、市民としての義務を果たし、正直に誠実に積極的に臨みなさい。万事に感謝し現実に安住せず、常に挑戦し続けなさい」

チェさんは、定着できずに苦しむ脱北者にもアドバイスする。

「私が一つの仕事を着実に続けられたのは、韓国人の偏見にこだわらず真心で歩み寄ったからです」

そして、南北朝鮮半島の人々がお互いの偏見を捨てて心を通じ合わせれば統一は成し遂げられると信じるチェさん。

「韓国にいる2万7000人の脱北者がこのような心構えで最善を尽くせば、我々は既に統一を築きつつあるのです。そして、統一後には胸を張って故郷の人々と会うことができるでしょう」