2006年11月、フジテレビで「泣きながら生きて」という番組が放映されました。直後から大きな反響を呼び、映画にもなっています。
上海出身の丁尚彪(てい・しょうひょう)さんという中年の男性が、中国で大勢の人から借金して北海道の日本語学校に入学しました。しかし、仕事がなくて生活できないため、やむなく東京に出てきて、働きながら一人娘の為に仕送りをし続け、ニューヨークで医師にするまで育てあげたという実話です。
食堂、建築現場、工場そして清掃作業と同時に3つ、4つの仕事をこなしていきます。生きるために来日したという丁さんは上海の妻子を養うため、借金を返すため、築30年の風呂もない狭いアパートで自炊しながら15年もの間、働き続けます。この番組を見た人のほとんどを感涙させた丁さんも法律論だけでいえば、週に28時間どころか、不法就労、不法滞在そのものです。
放映から8年近く経ちましたが、今の日本人が就きたがらない仕事のかなりの部分を新興国からの留学生が担っているという構図は、ほとんど変っていないのが現実です。就学生が留学生に、1日4時間の制限が1週28時間に、そして中国人がベトナム人に替わった以外は。
「人手不足」埋めるバイト
最近では現業部門の人手不足から、言葉の不自由な二セ「N5学生」も、何とかアルバイトに就いたりしています。私が何度か会ったこうした学生らも、少しずつ日本語の会話能力が「上達」してきていますが、もともと基礎がないため、条件の良いアルバイトにはありつけず、安い仕事を掛け持ちしているのが現状です。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面彼らが背負うハンディの具体例を、賃金以外のケースでもうひとつ、免許証の例で説明しましょう。
出前や新聞配達のようにバイクを使うアルバイトで、その明暗が分かれます。主に支弁で新聞奨学生として来日する留学生は、来日1ヵ月以内でほとんどがバイクの免許証を取得します。あの、50問中45問以上正解すればOKという日本の試験に合格するのです。これに対し、二セ合格証でブローカーなどの助けで来日した留学生は問題用紙が読めないので、ほとんどが不合格です。
例外的にベトナムの免許証を日本で切り替えるという道もあるのですが、多くの場合、免許証を汗やスコールに備えてラミネート加工しているので、日本の公安委員会では受理してもらえません。かくして、バイクを使うようなアルバイトにはありつけないことになります。このたぐいの話は枚挙にいとまがありません。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面最近では、こうした若者を狙って仕事をあっせんする業者まで出てきています。その結果、あまり言葉を使わない深夜の仕事を掛け持ちするようになり、学校は専ら仮眠をとるところと化しているとさえ言う学生もいます。
繰り返しになりますが、こうした留学生のほとんどは、先進国ではなく日本に比べ所得も10分の1くらいの新興国の若者たちです。にもかかわらず、留学生のアルバイトには週に28時間以内という制限があります。仮に1時間1000円で1日4時間働いたとしても4000円にしかならず、ベトナムへの仕送りどころか、生活費や授業料をまかなうのも難しいのが実態なのです。
?今後は「実習生」が拡大
ところでこのところの人手不足への対策として、政府は外国人技能実習生について、その在留期限を3年から5年に延長すると共に、対象業種も拡大する方針を打ち出しています。こうなってくると建前は留学だが、目的の多くは収入といった形の私費留学生は、相対的にまわりくどい制度と見られかねません。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面今後は、5年間であれば残業も含めていくら働いても許される、「究極の支弁」ともいえる実習生をめざす若者が増えることが見込まれます。この場合、採用する日本の企業はこれまで以上に吟味して選抜することも考えられます。
もちろん、日本語学校で学んだ後で日本での大学進学をめざし、アルバイトをしながら学ぶ本来の意味での留学生も減ることはないでしょう。その時々の政策の影響を受けながらも日本をめざすベトナムの若者たちは、今も増え続けています。彼らを受け入れる側のきちんとした受け皿作りが急がれているのです。(了)