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再度、拉致疑惑が浮上するのは、辛光洙が拘束されてから3年後の1988年。前年(1987年)に起きた大韓航空機事件の実行犯として金賢姫(キム・ヒョニ)が拘束され、彼女の口からは流ちょうな日本語で、李恩恵(リ・ウネ=田口八重子さん)という女性から言葉を学んだと語られた。

この衝撃的な証言を受けて、国会でも拉致疑惑が議題にあがる。当時の国家公安委員長だった梶山静六氏は、日本共産党の橋本議員の答弁に応える形で、「国内の行方不明者が北朝鮮に拉致された可能性がある」とはじめて政府の公式見解として明らかになった。

拉致された疑いのある被害者のなかには、地村夫妻や蓮池夫妻(両夫妻とも後に帰国)なども含まれており、この時点で、日本政府と公安当局が拉致問題についてある程度把握していたことがうかがえる。

初動捜査に遅れ

しかし、国会答弁で議題になったにもかかわらず、日本社会の反応は鈍かった。 理由としては、北朝鮮という国の情報がほぼ皆無だったことや、拉致の理由が不明だったことがあげられる。