俳優チャ・インピョは‘善良な俳優’と言われる。だが、これからは‘勇気ある俳優’とも言われるようになるだろう。
俳優には、映画の興行成績が荷札のように付きまとう。そのため、興行からはかけ離れた脱北者の人権問題を扱った映画‘クロッシング’への参加は勇気がなければ不可能だった。
チャ・インピョさんに9日、’デイリーNK’がインタビューをした。
[次は映画‘クロッシング’の主演俳優チャ・インピョとのインタビューの内容]
- 観客が60万人を越えた。観客の反応をどのように見ているか?
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面“私が色々なところから聞いた情報によれば、見た方の多くが2つのことを感じるようだ。‘北朝鮮の状況はあれほどよくないのか’、‘前は知らなかった’という反応と、2つ目は‘涙が沢山こぼれた’、‘悲しかった’という反応だ。
涙が出たが、悲しいメロドラマを見て泣いたのではなく、胸が詰まって絞り出るように、別の表現をすれば自分の兄弟や母が、血を分けた人がそうした苦痛にあっているという事実のため、共に泣くということだろうか。そうした感想が多かったようだ。
映画評論家の評価も聞くが、実話をもとにした映画を評価するのは適切ではないと思う。私にとっては、映画評論家の評価よりも、観客の感想1行の方が大事な映画だ”
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面- キム監督は500万人くらいの人が映画を見たら、北朝鮮に対する認識、脱北者に対する認識が変わることだと言った。まだたくさんの観客が見ることができなかったことについて、残念な気持ちはないか?
“それについては、キム・テギュン監督と考えに多少差がある。封切られて3週間目に入ろうとしているが、63万人の観客が見た。観客500万人の映画を選ぶのか、10年間で5千万人が見る映画を選ぶのかと聞かれたら、私は後者を選択するだろう。
今、商業映画の論理上、映画が封切られれば観客の数を増やし、社会的なブームを起こして数百万人の大韓民国国民が見ることも重要だが、実際にその映画を見て感じる感情が実践されなければならないのではないかと思う。持続的な関心が必要であり、ただ一回泣いて終わる映画ではなく、この映画は(脱北者問題に)関心を持つことができる端緒となる役割を果たした。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面今後、それではこうした状況の中、私はもう見たが、私は見せたが、あなたは何をするのか。その全ての行動の種は関心だと思う。
そのため、今は関心を与える段階だ。これから持続的に多くの方が見てくださったらよいと思う。007映画は1回製作されれば全世界で3億人ほどが映画を見るが、私はクロッシングを全世界の3億人以上の人がこれから見ると考えている。
映画を見た方の多くが、北朝鮮の人権問題や現在の脱北者の状況について、少しずつ関心を示してくださったらよいと思う”
- チャ・インピョさんが今回の映画に参加することに対して、奥様のシン・エラさんの督励が大きかったと聞いたが、奥様の評価は?
“試写会の時に私の横に座って映画を観たが、随分泣いていた。たくさん泣いた後、その日の夜家で私に、‘夫として誇らしい’と言っていた(笑)”
- 今回の映画の出演をきっかけに、今後も北朝鮮の現実が描かれた映画を撮ろうというお考えはあるか?
“もちろん、今回の映画に出演した理由は、国民の1人として脱北者を気の毒に思うようになったため参加したが、これから続けて北朝鮮関連の映画を撮るという計画はない。神様がお許しくださる仕事を毎日毎日しながら生きていくのが私の目標だ”
- 映画が北朝鮮問題に対する社会的反響を呼んでいる。一時的な反応で終わるかも知れないが..
“‘クロッシング’という映画を見た方やこれから見ようとしている方々に感謝したい。本当に感謝したい。私が撮った映画を見てくださるから感謝したいのではなく、結局はある1つの方向を示している映画だが、左右を離れて南北を離れて、血を分け合う人たちが、大事な生命が苦痛を受けているという事実に、‘私たちもこの問題に一度関心を持ってみましょう’という意味で賛同してくださること自体が非常に感謝すべきことだ。
先ほど話したが、すべての行動の基本は関心から始まると思う。そこまでが私にできる役割だと思う。ここからもう少し出て、‘このようにしましょう、あのようにしましょう’と言うのは私には資格がなく、この映画もそのように利用されてはならないと思う。
その瞬間、クロッシングは映画ではなく政治的なプロパガンダ(propaganda、宣伝)になるからだ。それはこの映画を見た一人一人が選択しなければならない問題だろう”
- 試写会の時に‘すまない’とおっしゃった。映画について自信がなさそうだという印象を受けた。
“自信を持てる、持てないとは…例えばこういうことだ。私が商業映画を撮る俳優として、今回の‘クロッシング’が私にとっては7つ目の作品だ。それ以前は封切りまでいつもあせって不安で、俳優は全てそうだろうが‘自信がある、ない’と表現することができたが、今回の映画は少し違った。
この作品に‘参加する’と決めた瞬間から、商業映画俳優という職業的な資格で参加したのではなく、大韓民国国民の1人として参加した。
脱北者が気の毒で、何か間違っている現実に胸が締め付けられ、この人たちのことを思うと涙が出て…それで参加したので、他の人によく見えて、何か私が付加価置を得るに値するために生じる自信とは差があると思う。
今回は、メディアや記者、はなはだしくは観客の皆さんにも私がよく見えなければならないという考えがなかった。信じる正しい行動に移したので、それで映画が誕生したのだ。
どれくらいの人が映画を見るのかという問題は、もう私の手を完全に離れた。今回は個人的な欲をすべて空にして作業に臨んだ”
- 韓国に来た脱北青少年に対する関心は特別だ。
“脱北青少年のみなさん、大韓民国に来て定着している皆さんにしたい話は、青少年の皆さんが必ず成功しなければならないということだ。大韓民国の社会で成功することは、お金をたくさん儲けなさいということではなく、有名な事業家が出て来なければならず、俳優も出て来なければならず、医師も出て弁護士も出て、慈善事業家も出て、こうして本人がこの社会に美しく立派に定着して成功してこそ、2千3百万の北の住民に希望が生まれると考える。
脱北青少年と何回か試写会を一緒に見た。そして私は、この映画を選択する瞬間、この1年間、‘デイリーNK’をはじめとする幾つかの北朝鮮関連サイトをほとんど毎日見た。脱北者の方々の随筆や手記を読んで、脱北者サイトで‘尋ね人’を見ながら、この人はどこで誰を探しているという内容を見た。脱北者の方と直接対面した機会は何度もなかったが、1年間その方々の心情を理解するために、そのような情報をたくさん見た。そうして‘大韓民国に命をかけて来たが、この人たちは幸せなのか?’、‘(自分の)決定権がなく両親に付いて来た青少年たち、子供たちは幸せなのか’という疑問が生じたが、これに対する答えはまだクエスチョンマークとして残っている。
言い換えれば、大韓民国が脱北者の皆さんと青少年を抱くというのは、食べ物を提供して命が脅かされない環境を提供することではなく、文字通り、表現そのまま抱かなければならないと感じる。
親が子供を抱くように、子供が怪我をして来たら、その傷がすべて癒えて治癒されて回復して、正常に喜びを享受して幸せに生きられるように抱くように、この方たちを私が抱かなければならないと考えるようになった。
もしこの方たちを私が抱かずにそのまま放っておいたら、11歳の私の息子ジョンミンが大人になった時、次の世代にどうなるのか想像できない。同じ民族で血を分けているのにどうなるのか…必ず私たちが大人として、大韓民国の中枢で大人として生活をしているこの世代が、この人たちを抱いて傷を癒して、一緒に本当に慰めてあげて慰めてもらって民族が折り合う、そんな歴史が展開されなければならないと考えている”