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北朝鮮は’2・13北京合意’のニュースを内外に伝え、’閉鎖’や’不能化’に言及せずに、’一時停止’という表現を用いた。

北朝鮮の意図に対する解釈がまちまちである中、北朝鮮が核保有国になり、北京合意を通じて一方的勝利をおさめたという点を強調するためのことであるという分析が説得力を持つ。北朝鮮が核保有国になり、世界の超大国アメリカさえひざまずいたというのだ。

北朝鮮は1994年のジュネーブ合意の時にも、アメリカの重油支援と米朝関係正常化の合意に関して、‘米帝に対する共和国の勝利’と内部で宣伝した。

当時、北朝鮮の各種のメディアは、“将軍様の無比(比べることができない)の度胸がアメリカを屈服させた”という内容の記事を載せて、金正日の領導を褒め称えた。

当時、人民班の講演要綱(講演資料)にもジュネーブ合意についての教育内容が載せられた。講演要綱では“世界の超大国が将軍様の前にひざまずいた。アメリカが虎なら将軍様は虎を捕る砲手だ”と 述べ、“将軍様は’砲手帽子’をかぶって現地視察に出ている”と教育した。

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労働新聞にもこの時から‘砲手帽子’をかぶった金正日の現地視察の姿が登場し始めた。北朝鮮のメディアや親北朝鮮サイトでも、金正日を虎を捕る‘砲手’として描いた称賛の文が数多く登場した。

金正日が防寒服に‘砲手帽子’をかぶり始めたのは、1991年に最高司令官に推戴された後である。金正日は軍部隊を視察するたびに最高司令官という地位に似合わない防寒服姿で現われて、軍人はもちろん、住民も怪訝な撫?セったという。

これについて北朝鮮の研究者は、当時韓国が対北宣伝物で北朝鮮を子犬、韓国を虎として描いたから、金正日は虎を捕る‘砲手’に扮したのだと解釈している。

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脱北者のキム・イリョン(2001年入国. 清津出身)氏は、“94年当時、北朝鮮はアメリカとの対決で我々が勝ったと大々的に宣伝した”と述べ、 “それ以後、金正日の‘砲手帽子’も本格的に知られるようになった”と語った。

キム氏は“おそらく今回の会談の結果についても、北朝鮮が超大国の5ヶ国を相手に大きな勝利をおさめたという方向で住民たちを教育するだろう”と言い、“しかし北朝鮮の人々は今や生活の問題にだけ関心があるため、核実験や核交渉の妥結という問題には関心を示さない”と付け加えた。

ジュネーブ合意以後、北の核問題が妥結されたと浮き立っていた国際社会と異なり、北朝鮮は’砲手帽子’をかぶった金正日に対する偶像化を強化して、核兵器の開発に拍車をかけた。

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今回の北京合意後、北朝鮮は内外的に金正日の誕生日の雰囲気の造成に総力を傾けている。今回は’核保有国の司令官は天下無敵’という宣伝文句が登場するか見守りたい。