26日、対北支援団体の良き友が、現在の北朝鮮の食糧難は非常に深刻な状況であると伝え、これを裏付ける脱北者たちの証言が含まれた映像を公開した。
以下は映像の内容
△ 地方の中間幹部の話
黄海南道の海州などの労働者たちは、配給が全くない。周辺の農村では飢え死にする人が出ている。去年からこの人たちがもらえた分配は、2ヶ月分か3ヶ月分だけだった。ある里では1ヶ月分ももらえなかった。そのため、農場員たちが出てこない。農場員たちは商売ができない。商売の技術がないため商売ができないので前からあったものを食べていたが、今は飢え死にしていると、行って来た人たちが話している。途中で飢え死にするという。ある里では10世帯は越えたそうだ。子供たちも死んで、だいたい50歳を越えた人が気力が無くなり死亡するという。
一番飢え死にする人が多い所は黄海道地域で、咸南地域でもハムジュやチョンピョン、サポ区域で飢え死にする人が出ている。農場員たちの間でたくさん出ており、労働者は飢え死にしたというほどの人は出ていない。この状態で行けば、6月中旬、中旬末頃になれば飢え死にしたという言葉が歌のように出るだろう。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面今、教員たちが話しているのは、食料事情が緊張するようになったら、子供たちが学校にきちんと出てこなくなり、連れに言ったら無条件食べるものがなくて、両親と一緒にめぐんでもらいに行ったり、食べることができずに飢えて横たわっていたり。教員もそういうのを見たら引っ張ってくることができないという。自分も学校で食べさせられないのに、どうやって連れて来るというのだろうか。
食料事情は前の方でも北の方でも、見てみれば紙一重だが、ただ前の方で飢えて、例えば集団で死ぬとしたら、北の方でそうなるのは数日違いだ。それが1ヶ月ずつ、終わることがない。飢え死にするというのは清津市だ、平安北道だというようになれば、平安北道で見ると、もうだいたい60%以内は困難な状況だが、今すぐ飢え死にするというのではなく、40%の世帯は飢えるとしたら集団で死ぬ。油も食べることができないと言っている。油が食べられず、草粥だけを食べていれば、1ヶ月もたてば力が抜けて死ぬそうだ。油を食べることができなければ。
忙しい(大変な)時はいつが一番忙しいかというと、新しいトウモロコシが出てきて、トウモロコシを食べて新しいトウモロコシを乾かして食べる時、その前が一番忙しいそうだ。春の端境期よりもその時が一番忙しいそうだ。食糧がすべて無くなるからだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面△ 平壌の中間幹部の話
飢え死にする。特に、もう5月から始まる。苦難の行軍が始まりだというのが全般的に知られているのは事実だが、苦難の行軍のようにアパートの路地ごとに子供たちが目だけあけている、そんな状態ではありません。けれど、もう死んで死んで、地方ごとに1、2人ずつは出ているというのは事実で、飢えたそうだではなく、飢え死にした。結局、食べることができずに免疫が弱く、飢え死にしたのです。
平壌市内も本当に厳しいです。今年も年初から平壌市だけは配給を保障するということについて、国防委員会の命令ならどうなのか、そんな話が3、4回にわたってありました。踏ん張って1、2回は保障したけれども、やはり保障できませんでした。それだけを見ても、穀物がどれだけ厳しくなっているのか分かると思います。既に咸興市や南浦市は、正確に3月から穀物が無くなって。たぶん市場には少しあるでしょう。個人の商人がどこからか持って来るのは、それ以上ないないというのを、1から100という数ならば0になったという話をしますが、それ以上どのように話すのですか。本当に切ないです。それでは5月、6月まで待って見ましょう。その時、そんな事態になれば信じてくださいますか。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面平南道、黄海道、咸興などは本当にため息が出ます。情けないです。多分、朝鮮の状況は全て同じです。この状態についてこうなのか、ああなのかと聞く前に、本当に急がれます。これ以上言えません。それ以外にこれ以上、何がもっと必要でしょうか。
△ 2008年3月脱北, 穏城出身, 18歳
お母さんたちの大部分は、とにかく自分の子供が本当に引き立てられると言ったら、よいと思う親はいないでしょう。口ではそう言っても。中国に行ってお前たちだけでもよい暮らしができれば望むことはないと言うということです。ここで暮らしてもたかが知れている。死ぬまで更に辛くはなってもよい暮らしをすることはできない。今より更に辛くはなってもよい暮らしをすることはできない。それで行け行けと。その言葉を聞いたら名残が尽きませんよね。両親が自分にそのように言うから。でも、私がいなければ家にとって役立つと思って来たんです。そうして来たんですが。
それで両親もそのように言って来る子供もいて、だいたい見たら子供たちは暮らすことができないから、家が貧しくて暮らすのが大変だから来るけれど、来る時は2人のお姉さんと私と3人で来ました。来た時は人身売買者が、その人が軍隊の警戒所と組んで私たちは川を渡って来たのです。図們に。そこに少しいてから来たのですが、図們でも私たちが逃げれば損するじゃないですか。だから、外にも出ることができないようにして、戸を開けて出れば怒鳴って捕まえて、また家に入れられて、それでその中にいた時、誰かが人を買いに来たら売られて。
でも、みんなが大部分暮らすのは・・食料事情が大変だから。2003年度からは肥培管理を与えたんです。肥培管理を与えたから2006年まで肥培管理を与えたのですが、当時は少しよかったです。事情が少しよくなったということです。でも、生活が少しよくなったというのは、少しでも飢える人が減って、泥棒が少なくなって、でも昨年度の2007年からは肥培管理を与えなかったから。その時からみんな堕落して。みんなが堅いセメントを掘り起こして、くまでで掘り起こして食べて、トウモロコシも植えてたべて。それも8月になれば穂が少したれるんです。それもただすりおろして食べて、その時はジャガイモがあったから。ジャガイモを一食食べるのに家族5人家族なら、ジャガイモ5つ程度とトウモロコシの穂を1つ入れるのです。1つをすりおろして、かんなをかけるようにおろして食べて、それでお粥を焚いて食べます。
でも今年はすごく大変です。今年はその程度もなくて、2月から旧暦の正月の前から食糧がすべて無くなって、あちこちから借りて食べたのですが。ちょっと生活が楽な家が生活が苦しい家に貸そうとしても、その家から出るものがないでしょう。だからあまり貸してもらえません。そのため、それからみんな堕落して死んで、飢え死にして、夫婦が激しくけんかして、そしてお母さんたちは2歳、5歳くらいになった子供たちなんですが、一緒に鼠捕りの薬を飲んだり、非常薬を飲んで自殺するのです。自殺もして。
みんなが本当に山に行って、山には人が本当に多いです。草を採って食べようと山に行って、なずなや豚が食べる草があります。たくさん食べたら豚もお腹をこわすといいます。そのような草もすべて摘んで食べて、おかゆもこしらえて食べて、そのように焚いて食べて下痢で死ぬ人もいるし、飢えて食べることができなくなって、栄養失調で死ぬ人もいます。配給もくれないので言いますが、今は頼みになるのは国際社会しかないと。今はできれば中国やアメリカ、韓国から支援を受けるのがよいと…