北朝鮮も最先端科学技術の前では、素顔を見せるしかなかった。
全世界の地図を衛星写真で提供しているインターネットサービスのグーグルアース(Google Earth)が、2日(現地時間)に北朝鮮と中国の国境地域の写真をアップデートしたと伝えられた。これにより、全世界の誰もが、インターネットを通じて北朝鮮の国境都市の様子を一目で見られるようになった。
グーグルアースは平壌と北朝鮮全域の解像度も高めたという。
だが、他の国家の都市で、官公署や産業施設が目立っているのに比べて、北朝鮮では都市に立っている金日成の銅像が一番目立っていた。それ以外に、金正淑(金日成の妻)と金ヒョンジク(金日成の父親)の銅像と各種の偶像宣伝用の建物も発見された。
金日成の銅像は、1948年に万景台革命学院に最初に立てられた。その後、1972年に万寿台の丘に高さ20mの大型の銅像が立てられ、現在まで北朝鮮全域に70以上の金日成の銅像があると伝えられている。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面金日成の銅像は各道や直轄市の人民委員会所在地や、規模が大きな市や郡の庁舎の所在地に立てられており、それ以外にも金父子の活動と係わる地域にある。
グーグルアースではこの他にも、インターネットの使用者が作る‘ウィキペディア’百科事典、グーグルアースコミュニティなどに書き込まれた文章から、北朝鮮の各都市の情報を確認することができる。デイリーNKが報道した恵山市の金正日専用駅も、グーグルアースで確認することができる。
グーグルアースで、最近の中朝国境都市の様子を捉えた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面◆ 平安北道新義州
平安北道の道所在地である新義州の様子.中国と鴨緑江を挟んで接している代表的な中朝貿易都市だ.上の写真の左側が金日成の銅像で、右側が新義州の競技場だ.下の写真の左側は新義州駅、右側の写真は遊園地だ.観覧車をはじめとし、乗り物が数種類あるが、電力事情のためほとんど運行されていない.
◆ 両江道恵山
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面両江道の道庁所在地である恵山市の様子.左側が金正淑芸術劇場、右側が金正淑師範大学.
1961年9月に両江道内の高等中学校の教員を養成する恵山教員大学として設立されたが、1981年8月17日に金日成の妻である金正淑の名前をとって金正淑師範大学に改称した.
左側の写真はサムス発電所.サムス発電所は両江道のサムス郡地域を流れるホチョン江とウンチョン江を利用して電力を生産するという計画の下、2004年に着工した。発電所建設事業は、金正日の寵愛を得るための労働党組職部と宣伝扇動部間の権力闘争に端を発し、建設現場に動員された住民は、1日14時間以上の強制労働に苦しんでいると伝えられた.右側は恵山の紡績工場.
左側の写真は恵山の金正日専用駅で、’デイリーNK’が最初に報道して知られた.右側はポチョンボ戦闘勝利記念塔で、金日成の抗日戦争の勝利を記念するために立てた、旗の形をした巨大な塔だ.
記念塔の下にある建物が両江道史跡館で、金日成と金正日の革命の歴史を宣伝するために作られた.
左側は両江道ポチョン郡にある金日成の銅像.金日成の銅像の下に見える建物は、1955年8月7日に創立されたポチョンボ革命博物館だ.金日成の国内進攻作戦に関する歴史資料を中心に、’革命闘争の業績’を宣伝するための目的で立てられた。右側は金日成高等物理学校.平壌第1高等中学校に劣らない秀才学校で、北朝鮮の物理学の研究者を排出している.
◆ 咸鏡北道会寧
咸鏡北道会寧の様子.豆満江の向こうに中国があり、脱北者の代表的な脱出ルートの1つだ.中国との往来が多く、華僑が集って来て個人商工業が発展した.金正日の生母である金正淑の故郷としても有名だ.左側は金正淑の銅像.右側は金正淑が中国に渡ったといわれている渡し場で、記念塔が立てられている.
左側は会寧市の競技場.新年の辞決起大会や反米決意集会が開かれる.会寧の住民の群衆大会が集中的に行われる所だ.公開処刑が執行される場所でもある.右側は金正淑の生家で、金正日の家系の偶像化の一環として保存されている.