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南北経済協力市民連帯(代表チョ・ハンウォン) の会員と教授、民間人、報道関係者など50人余りが6日、開城工団を訪問した。開城工団の現場訪問を推進した市民連帯はこの日、開城工団の現地でシンポジウムを開催、南北経済協力活性化方案に対する深い討論を行った。

参加者は“南北経済協力が北朝鮮の核実験で危機に瀕している”と分析し、“開城工団は経済原理に即した運営だけが成功できる”と口をそろえた。開城工団で民間レベルのシンポジウムが開かれたのは今回が初めてだ。

参加者たちは討論に先立ち、開城工団内の衣料企業や公団周辺などを視察した。この日、開城工団の現場訪問に参加した記者は、開城工団の北朝鮮労働者と工団の様子を写真に収めた。北朝鮮政府は工団内の北朝鮮労働者に対する写真撮影を許可している。

現在、開城工団のモデル団地には15の企業が入って製品を生産している。これらの企業では8700人以上の北朝鮮の労働者が働いている。彼らは衣類、食器道具、靴下などを生産する会社で働いている。工場及び建設現場の勤労者を含めれば、1万1千人以上の北側の勤労者が働いている。


現場訪問では、衣類を生産する‘シンウォンエベネセル’をはじめ、‘ソンファ物産’、’テソンファター’などを訪問した。北朝鮮の労働者はこれまで多くの訪問団を経験しているためか、この日工場を訪ねた訪問者たちを意識することもなく、作業に集中している雰囲気だった。

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工場の中に入って北朝鮮の女性労働者たちを見て、まず感じたことは、一様に顔が紅潮しているということだった。脱北者によれば、北朝鮮の人々は食糧を求めて冬でも外で多くの活動をするため、顔が紅潮するという。

開城工団の労働者の場合、一般の北朝鮮の労働者に比べて待遇が良く、野外活動や食糧の心配は相対的に少ない。しかし、肌を管理できる化粧品などが十分ではなく、紅潮しているということだ。南側の労働者とは全く異なった姿だった。

工場の中では‘女性は花だね’や ‘口笛’ などの楽しい北朝鮮の歌が流れた。普通、北朝鮮の企業所や協同農場では生産性を高めるために歌を歌うという。工場の内部は韓国の通常の工場とあまり差がなかったが、北朝鮮の歌だけが、ここが開城ということを確認させてくれた。

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しかし、楽しい歌と違い、労働者たちは無撫?セったし、仕事に忙しかった。たまに数人の労働者が互いに話を交わしたりしていたが、見学の間、ほとんどすべての労働者は黙々と仕事に没頭していた。

工場側の関係者は“ご覧のように、北朝鮮は統制社会のため、韓国の人々と接触する工団の労働者たちが緊張するようだ”と言い、“しかし、初期に比べて現在は雰囲気もよくなって自然になった”と説明した。


開城工団で働く労働者たちは大部分が開城の住民だ。彼らは数キロ離れた開城市と周辺の村の人々だ。彼らは毎日ここに出勤する。出勤は開城工業地区が運営する韓国のバスを利用する。もちろん、このバスの運転は北朝鮮の人が引き受けている。ソウル市内のバスのような青色の車が開城市内を運行することは容易には想像できなかった。

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北朝鮮は工団周辺が外部に公開されることを極度に嫌う。したがって写真撮影を徹底的に統制される。しかし、困難な中で周辺の写真を撮ることができた。

工団周辺はこの間伝えられてきた北朝鮮の劣悪な状況を見せてくれていた。周辺の山は木がない禿山だったし、村も見たところ、ごく少数の家屋が全てだった。

いくつかの家は2階建てだったが、建築されてから30年以上は経ったように思われ、粗末だった。窓は硝子ではなくビニールと稲のわらで覆い、真冬の冷たい風をさえぎっていた。大部分の家はペンキがはげていたし、屋根瓦は貧弱で、でこぼこしていた。

開城工団の現代的な施設とは違い、工団周辺の村は韓国の1970年代を連想させた。記者は数百メートルの間隔をおいて、1970年代と現在が共存していると感じた。

写真を見た限り、脱北者は“それでも韓国と交流がある開城の周辺だから、よい方”と言い、“咸鏡道の田舍の村などの場合は、到底言葉にもできないほど劣悪だ”と語った。

脱北者は開城工団で働く開城の住民たちは、恩恵を受けた人々だと言う。彼らは他の地域の人々よりも食糧の心配をしなくてすむからだと説明する。

彼らは公団に出勤すれば韓国が提供する食べ物を食べる。北朝鮮の劣悪な食料事情を考慮したら、ご馳走である。また、北朝鮮政府から賃金の代わりに食糧や品物の購入券をもらって、必要なものを購入する。

しかし、開城工団を訪問している間、彼らは決して幸せそうには見えなかった。彼らが韓国のように労働の対価を全て受けることができず、豊かな生活をすることができないというよりも、金正日政権が改革・開放をしないため、ただ飢えないということだけに満足しなければならないという考えが頭をよぎる。