人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

北朝鮮に’3.8婦女節’というのがある。共産主義国家で3月8日は世界女性の日だ。

3.8国際婦女節は女性のための祝日として記憶している。

北朝鮮の祝日をあげてみると、陽暦の正月(1月1日)、金日成の誕生日(4月15日)、金正日の誕生日(2月16日)など3種類ある。陽暦の正月は金日成の新年の辞を覚えるための日だ。2月16日は金正日だけを思い、彼の’恩功’を称えるための日だ。4月15日は金日成を称える日で、死後は‘追憶の日’に変わった。

金日成、金正日を慈しんでいる北朝鮮の祝日

金日成が生きていた時は、金正日の誕生日より数倍も多いおかずを供給して盛大な行事をしたが、金日成が死亡すると、行事のレベルが金正日の誕生日よりも著しく下がったのを見て、”死んだ政丞は生きている犬にも劣る”という昔の人たちの言葉が思い浮かびもした。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

北朝鮮で、それだけ熱をあげて宣伝する金日成-金正日父子の誕生日に、私は金父子が統治する時代に北朝鮮で生まれた運命について、誇りを感じたことがあっただろうか。

分からない。ただ、食料商店で区切りがぎっしりと引かれた住民帳簿を掻き回しながら、私の名前の3文字を探し出して判子をおして、1人当り200gずつ渡される肉の塊の配給をもらうために長期間体当りされても厭わずに、じっと並んで待った記憶だけが残っている。水がいっぱい入った鍋の中に手の平ほどの肉の塊を入れて沸かして食べたその味だけが、’節日に対する思い出’として残っている。

万寿台に花束を捧げる行事や体育行事、問答式の競演、サークル競演などに動員されて引っぱり出されると、肉の味の楽しさも一時のものに過ぎない。せめて祝日には完全に休ませてくれたらと思うのが、私の最も切実な願いだった。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

この世に生まれて、私自身の真の祝日である誕生日はどうだっただろうか。誕生日を考えると、妙に寂しくなる。

祝福を感じることができなかった私の誕生日

私は母が亡くなった15歳以後、自分の誕生日にあまり意味を感じなくなった。長年病に苦しんだ母のかんしゃくまじりの愛さえ忘れてしまった後、世の中の愛と私の間には壁が築かれた。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

‘ウオルヒャン女性独身者合宿所’で生活していた時、疎遠になっていた父が誕生日の前に合宿所にやってきて、”今週の土曜日はおまえの誕生日だが、お父さんと一緒に食堂にでも行かないか”と聞いてきた時、私はどうしてあんなに無愛想な返事をしたのだろうか。

“こないでね。その日は合宿所にいません。慈江道に出張にいきます!” と言って父の誘いを冷たく断り、父を悲しませてしまった。

ただ自らの力で世の中とぶつかって生きて行かなければならなかった私は、周囲の冷遇と蔑視に心がすさんで、血縁さえ受け入れることができないほど酷く変わっていった。

私は以前もそうだったが、その後も誕生日が来るたびに、自分自身の心が弱くなるどんな恩恵や思いやりも受け入れなかった。(続く)