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アメリカ議会の代表的な知韓派であると同時に、国際社会の人権問題の解決に対し先頭に立ってきたトム・レントス下院外交委員長(民主.カリフォルニア)が11日に他界した。 享年80歳だった。レントス委員長は北朝鮮に2回も訪問するほど、北朝鮮問題にも大きな関心を寄せてきた。韓国国内では、アメリカ下院の慰安婦決議案の通過を主導した人としてよく知られている。

他界したレントス委員長は、アメリカの対北接近の過程で、対話路線を重視してきた。レントス委員長はメディアとのインタビューで、北朝鮮側との定期的な対話を持ち、アメリカには敵対感情がないということを北朝鮮の指導部に納得させる必要があると主張してきた。今年も北朝鮮を訪問する予定ったという。

レントス委員長は北朝鮮が核の不能化を完了し、すべての核計画を放棄したら年内に関係正常化も可能だとして、北側がまず行動することを促した。だが、関係正常化が実現しても、北朝鮮の人権問題は譲歩してはならないという点を強調した。

レントス委員長は2006年の北朝鮮の核関連の聴聞会で、“北朝鮮は全世界のスキャンダル”と言い、“最近訪朝した時に会った北朝鮮軍の将軍たちが、最新型のベンツに乗っている一方、北朝鮮の子供たちは飢餓と栄養失調で喘いでいる”と叱咤した。当時、国連の北朝鮮に対する贅沢品禁輸決議案を支持し、“わがままな北朝鮮の指導部は、個人的な苦痛を経験しなければならない”と語った。

レントス委員長は、人権問題だけは一歩も譲歩を見せなかった。人権に対する彼の格別の関心は、自身の特別な成長過程にも関係している。1928年にハンガリーのブダペストで生まれたレントス委員長は、ユダヤ人としてナチスに対立して抵抗運動を行った。ナチスのハンガリー侵攻の時、労働収容所に引かれて行ったが脱出し、’ホロコースト’を生き延びたレントス委員長は、当時の体験を基に議会内に‘人権コーカス’を創設して20年以上共同議長として活動した。

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故人は在任期間に、スーダンのダルフールの人権蹂躪問題を絶えず提起し、ブッシュ政府が反対するアルメニア虐殺決議案を断固として支持するなど、全世界の人権と自由の伸張のために多大な努力を傾けた。スーダン大使館の前で人権蹂躪の抗議デモを行って逮捕されもした。

レントス委員長はまた、去年アフガニスタンの韓国人人質事件の時に、韓国の国会議員団が彼に会って助けを訴えた時、”韓国人人質事件の解決のために最善の力をつくす”と言いながらも、”原則が毀損されてはならない。私は私の孫がつかまっても、タリバンとは交渉しない”とも語った。

国際社会の人権問題の解決のために一生を捧げたレントス委員長の活動をたたえて、ホワイトハウスは彼が亡くなると弔旗を掲げた。AP通信とNBC、CNN、ニューヨークタイムズのインターネット版などアメリカの有力なメディアは、彼の他界を緊急ニュースで伝えた。ジョージ・ブッシュ大統領とバン・キムン国連事務総長なども、哀悼の声明を相次いで発表した。

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1980年に下院議員に当選した後、14回(2年任期)当選し、去年1月に下院の外交委員長に就任した故人は、自身の人生はこの席のために準備されたものだったと言うほど、職務に情熱を傾けた。だが、わずか1年余りで世を去った。

アメリカ下院が初めて採択した’慰安婦決議’は、レントス委員長が在任中に残した最大の業績の1つとして残ることになった。韓国人の有権者が多いサンフランシスコ南西部のカリフォルニア12選挙区出身であるレントス委員長は、韓国人の同胞との懇談会で、慰安婦決議案の通過は、ホロコーストの生存者である自身の”義務”と語るほどだった。

ナチスの統治下で、母親を始めとし、多くの家族を失った故人は、スウェーデンの外交官にかくまわれて地下抵抗運動に加わった。第2次世界大戦後には、東欧圏を掌握したソ連共産党に対立して反共運動を展開した。故人は1947年にアメリカに移住し、教授として教鞭をとった後政治に身を投じ、1980年に連邦下院議員に当選した。

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レントス委員長は2005年1月と8月に、2度北朝鮮を訪問しており、外交委員長になった去年以降も再訪朝を積極的に推進するなど、北朝鮮の核問題の解決に大きな関心を向けた。また、北朝鮮の人権問題を積極的に取り上げながらも、北朝鮮の核問題は交渉と対話を通じて解決しなければならないという一貫した立場を貫いてきた。

故人は2004年にリビアを訪問し、カダフィ国家元首に会い、リビアの核廃棄と外交関係の正常化の扉を開いた経験をいかして、ブッシュ政府に北朝鮮との対話を勧告してきた。昨年末に食道癌の発病の事実が明らかになるまで、金正日総書記に直接会って、核放棄を説得するという固い意志を持っていたという。