人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

ご主人と一緒に二人の娘を育てながら暮らしている平凡な主婦、キム・ヨンオク(仮名・2002年入国)さん。全南木浦に住んでいるが、他の人達と違う話し方のため、故郷がどこかと問われることがよくある。その度に、“慶尚道から来た”と答える。そう言われると話し方も慶尚道人のようだ。

キムさんは5年前、韓国に入国した脱北者だ。しかし、これ以上‘脱北者’という札は付かない。完全に‘韓国人’になったからだ。本人自身も“韓国に完全に適応した”と言う。

キムさんは入国して5年、生計費の支援はもちろん、政府が提供した住宅も返納した。もう自分の力で自らに責任負うことができるからだ。隣人との出会いも全然怖くないというキムさんは“もうどこに行ってもちゃんと暮らせるだろう”と堂々と話した。

脱北者1万人時代、しかしキムさんのように韓国生活に適応して堂々と生きて行くのは決してたやすいことではない。 何回もの挫折と試練を経験しなければならない。切ないがこの過程に勝つことができずに、落伍者になるケースも、私たちの周りではよくある。

長期間の‘適応期’を経て、韓国の社会で基盤を作った脱北者たちは専ら“忍耐心を持って絶えず努力すれば生き残ることができる”と言う。“豆満江を渡ってあらゆる困難を経験したあげく韓国に入国したように、あの時の気持ちを持ってあきらめなければ、いつかは成功することができる”と言った。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

韓国社会に適応して社会の構成員として生まれかわる一方、韓国でのもう一つの‘成功’のためにどうすればよいのかを脱北者たちに直接聞いた。

◆ 定着支援金に頼ってはならない=脱北者はまず“政府の定着支援金に期待しすぎてはいけない”と指摘する。 定着支援金が韓国社会に適応しようとする個人の積極性や情熱をそぐことがあるということだ。

キム・ヨンオクさんは“私と同年に韓国に入国してもまだ政府が与える生計費だけで生活している脱北者がいる”と言い、“少数に過ぎないが、支援金で生活が可能だからか分からないが、どうにかこうにかして生きて行く場合も多い”と語った。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

キムさんは“定着支援金で当面生活することも重要だが、長期的にはどのように努力してこの社会に早く適応するかということがより重要だ”と強調した。

イ・チャンヒ(仮名・2001年入国)さんは“過去と比べて現在は、初期の支援金が少なくて、脱北者は政府の支援金だけに頼ってはいない”と言い、“資本主義社会で勝ち抜くためには、私の道は私が開拓して行くという考えを持たなければならない”と語った。

脱北者たちが定着支援金にだけ頼るようになることは政府の政策が充分でないという点も見逃すことができないという指摘だ。脱北者たちに職業教育と適応教育をきちんとしないまま、無条件、早く就職するようにすることで、結局彼らの就業の動機をそいでいるという不満もある。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

しかし、政府の政策のみを咎めることもできないだろう。 イさんは”政府の助けとは別に、韓国社会に適応するための努力をしなければならない”と強調する。早く韓国の考え方や生活方式に適応しようとすれば、自分なりの適応ノウハウを習わなければならないというのだ。

キム・ヨンオクさんの場合、韓国生活に早く適応するために、職場生活を続けた。“韓国社会をあまり分からないうえ、脱北者に対する差別も多くて涙をたくさん流した”と言いながらも、“堪えて社会生活をしたら韓国に対して分かるようになった”と語った。

キムさんは脱北者に対する差別を避けるために、慶尚道から来たという嘘をついた経験を語り、“(韓国で)どうせ住むところには早く適応してしまうことが楽だ”と話した。

イ・チャンヒさんは韓国社会に早く適応するために、自分だけの行動規則を作った。‘話し方を変える’‘マナー守る’‘自負心を持つ’などを設定して、毎日毎日これを守るために努力した。

イさんは“私が努力さえすればよく暮らすことができる社会で、できないことがあるかと考えたら、できないことはなかった”と言う。

◆ 他の点を認めるべき=しかし、適応するからといって韓国の生活方式と考え方を無条件受け入れることは大変だ。むしろ無条件理解しようとばかりしていたら、もっと大変な時もあると言う。

脱北者出身である北朝鮮研究所のキム・スンチョル研究員は、“私たちは韓国の人々と非常に違って、脱北者なので不利な側面があるということを認めなければならない”と言う。 “はじめから韓国人とまったく同じ待遇を受けようと思うより、脱北者なので仕方ないという事実を甘受しなければならない”と言うのだ。

2004年に入国して、現在中小企業で働くチョン・デホ(仮名)さんは、“韓国についてよく分からないから、小さな事にも誤解が生じて自尊心が傷つくことが多い”と言い、“それに耐えることができなくて、たびたび感情のもつれや体当りのけんかが起こる場合がある”と話す。

しかし、チョンさんは“まだ韓国について経験していないので、韓国式の考え方が分からないと認めなければならない”と言い、“相手が理解してくれることだけを望む前に、私がその人々を理解しなければならないと思いなさい”と助言した。

◆ 目標を低く持って努力しなさい=脱北者たちが初期の定着に失敗する理由の一つは、韓国にさえ来れば無条件成功すると信じる期待の心理がある場合も多い。

キム研究員は“脱北者は普通、韓国へ来ればお金も容易に儲けて無条件成功することができると信じている”と言い、“しかし現実的にそうではないということが分かるようになって、失敗する場合が多い”と語る。

これに対して“初めて韓国に来て3年から5年位は目標をあまり高く持ってはいけない”と言い、“お金を沢山儲けようと思うより、まず韓国社会にきちんと適応して長期的計画を立てなければならない”と指摘する。

北朝鮮民主化運動本部のパク・サンハク代浮焉A“脱北者たちは韓国社会に対する幻想が多い”と言い、“高いところだけ眺めて失敗するよりは、低い目標を持って一生懸命努力して行った方が良い”と意見を述べた。

パク代表はまた、“北朝鮮でご飯もまともに食べる事ができなくて、豆満江を渡って北朝鮮を脱出する時を思い出して、そうした気持ちで韓国社会で努力しなければならない”と言う。“あの時の気持ちさえ持ったら、できないことはない”と言うのだ。

キム・ヨンオクさんも“努力しなければ北朝鮮で暮らしたように暮すことになると思ったら、本当に歯を食いしばるようになっていた”と言い、“すべてが本人にかかっているので、努力してできないことはないだろう”と語った。

チョンさんは何よりも‘忍耐心’を強調した。年齢が高かったため、職場を捜すことから難関にぶつからなければならなかったチョンさんは、“忍耐心を持って待ったら職場もみつかって、仕事をしながら大変だが我慢して努力したら、認めてくれた”と言う。

彼は“大変で失敗する時もあるが、どう思うかで違う”と言い、“すべての事に忍耐心を持って一生懸命努力しなければならない”と話す。

イ・チャンヒさんは“故郷に残して来た親兄弟を思ったら、意志が固まった”と言い、“韓国は努力さえすればよく暮らすことができる社会なのに、脱北者としてできない事がどれほどあるのか”と問い返した。

イさんは“生きるために韓国へ来たが、脱北者たちは本当にしっかり暮らさなければならない”と言い、“私たちの社会が関心を持って、脱北者たちが自立して社会の主役として立つことができるように応援しなければならない”と付け加えた。(脱北者1万人時代-シリーズ終り)