1959年から1984年まで北朝鮮に連れ去られた在日韓国人の数字は9万名余に至る。いわゆる北朝鮮帰国事業と呼ばれた在日韓国人北送事業は、北朝鮮が理想社会という偽りの宣伝により、多くの在日韓国人が北送船に乗った。彼らは北朝鮮が理想社会ではないことを知ったが、様々な抑圧と監視のなかで、仕方なく北朝鮮で生き残ってきた。しかし、最近、彼らが脱北するケースが増えている。彼らを通じ北朝鮮の非人道的残忍性が世界に知らしめる機会になると思う。
数カ月前、脱北者の知人から北朝鮮金策市に暮す北送日本人妻10余人が、日本や韓国に連れて行ってくれという切実に願っているという消息を伝え聞いた。筆者が住んでいた両江道恵山市地域からも、多くの北送在日韓国人出身たちが脱北して、日本にも一部暮し、大韓民国にも住んでいる。今も脱北を切に願っているのだ。
1959年12月14日975人の在日韓国人北送第1陣が新潟港を出港して北送事業が始まった。それに利用された万景峰号は在日韓国人北送の代名詞になった。北朝鮮住民にとって、朝総連の親戚が北朝鮮にいる在日韓国人出身者に金と財産を運んで来る幸運の運搬船である。
北朝鮮政権の宣伝にだまされ北送船に乗った多くの在日韓国人は、北朝鮮に到着するやいなや騙されたことを知るが、不平と不満を見せるといろいろな政治的理由で政治犯収容所などに裁判なしに収監された。山間奥地に追放され一生苦痛の中に暮らす在日韓国人も相当数存在する。
筆者と一緒に追放された在日韓国人出身医者・張氏は、平壌医学大学で勉強し産婦人科分野で有望視されたが、朝総連で活動した母が二重スパイという濡衣を着せられ、政治犯に追い込まれた。張氏は山間奥地に追放され人間以下の蔑視や苦痛に合い、彼の母は18年間、独房で座り続ける拷問にあい下半身が完全にまひし、歩けない状態で無罪釈放された。それでも北朝鮮政府は一切の謝罪はなく、被害に対する補償も全く考慮しない。
北朝鮮住民は北送された在日韓国人出身を密かに羨ましがった事もある。もちろん日本をから財政的、物品的支援をもらう人々がいるからだ。日本から北送されて来たものの、日本になんらの縁故がない、あるいは縁故があっても支援がない在日海外同胞出身たちに対する差別と蔑視は酷いものだった。彼らの生活は北朝鮮の一般住民よりもさらに厳しく、彼らを指して北朝鮮住民は“ゴジポ”(乞食の同胞の略)と卑下し呼んだ。
しかし朝総連で活動する親戚がいるとか日本の親戚からの財政的に援助がある場合は、それでも自家用車を持てたし、時折持って来てくれる円のため暮らしが良く彼らを“チェポ”(在日の同胞の略)と呼んだ。彼ら金持ちの代名詞だったが、お金さえなければ他に何もない人々だった。
筆者が働いていた恵山ビョンオン・ビール工場の支配人も日本生まれで15歳の時北送船に乗ってきた人で、相当の苦労をした。朝総連商工会副会長として活動した母方の伯父文ビョンオン氏が北朝鮮政府に何度も多額の献金をし日本に住んでいた母が毎年持って来る円の包みのおかげで、瞬く間に出世し金持ちなったのである。
文ビョンオン氏が、プレゼントした恵山ビョンオン・ビール工場は、北朝鮮両江道地域では唯一、社長に対する人事が成り立たない個人企業的な企業だった。この工場の支配人の息子が、工場支配人を受け継ぐことになっていたが、支配人が脳卒中で死亡し、朝総連の資金の糸が切れてからは、北朝鮮は息子がすぐに追放され、他の人物が支配人に任命された。
文ビョンオン氏は北朝鮮に膨大な資金を投入し、その功績で金日成や金正日のから何度も彰を受け接見もしたのだが、朝総連の資金の糸が切れた後、北朝鮮は在日韓国人に対する優待政策を冷待政策に変えた。それまで施してきた恩恵は急に中断された。その後、北朝鮮内に住む北送在日韓国人と同じく、文ビョンオン氏の北朝鮮内の家族が持っていたすべてのものは水の泡となり、彼らは乞食生活に転落したのだ。
こんな例もある。朝総連教育部長である朴氏が親戚で、家を売って北朝鮮行きを決めた筆者の知人秦氏の家族も同じだ。秦氏のお爺さんは年をとってから日本にある財産を整理し、息子がいる北朝鮮に尋ねて来た。この時は北朝鮮は、彼の財産に関心があり、孫を党幹部に立て党幹部養成学校にも行かせたが、お金が切れると与えた席を奪い、職を奪い追い出しただけでなく、少しの恩恵も皆取り消してしまった。結局、家もないコチェビ(孤児となった浮浪児)に転落し早死にした。家族は路頭に迷い、物乞いにまで転落した。
1980年代、朝総連商工人が北朝鮮に未練を抱き合弁合作会社を設立し、資金を降り注いだが成功した企業は何処をどう捜しても見つけられほど、100%が乞食同然になったのが、わずか30余年前の事だ。
甘い水がある時だけストローをさし、途中甘い水が無くなれば、容赦なく捨てる北朝鮮式水かき手法にだまされ、財産を使い尽くして捧げた在日韓国人たちは切実に訴える。北朝鮮にいる家族が本当に心配なら、北朝鮮に金持って行こう思わず、脱北させ大韓民国や日本に住むようにすることが、彼らに幸福を与えるための道だ。