なぜ息子は、父の前轍を踏んでいるのだろうか。
北朝鮮当局は、全国の市場で商売をしている商人に「国定価格を守れ」との指示を下した。供給と需要で価格が決まる現実を完全に無視した指示に、商人も消費者も呆れ返り、生活防衛策に走っている。咸鏡北道(ハムギョンブクト)のデイリーNK内部情報筋が伝えた。
咸鏡北道人民委員会(道庁)は、中央からの指示だとして、各市・郡人民委員会(市役所)を通じて、「国定価格を遵守して市場価格を調整せよ」との指示を市場の商人に下した。
北朝鮮では昨年来、物価が急上昇している。これが市民生活に大きな影響を与えていると見た中央は、市場価格が国定価格より高すぎるのは経済の安定と社会主義の原則を乱す反社会主義行為で、商人が国定価格を無視して勝手に価格を上げて販売を続けるのなら、市場の営業時間の短縮、営業禁止、商品の没収など強硬手段を取ると言い出した。
(参考記事:「泣き叫ぶ妻子に村中が…」北朝鮮で最も”残酷な夜”)
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面さらには、ウォン安を言い訳にして価格を上げて、ウォン高傾向となっても価格を元に戻さない商人がいれば、すぐに市場管理所に通報するなど、相互監視を強化せよとの内容も含まれていた。
当然のことながら、商人や消費者の反応は冷めたものだった。
(参考記事:北朝鮮の通貨「15年前の悪夢」が原因で大暴落)各市場の管理所には、今回の指示が張り出されたが、それを見た商人からは次のような反応が返ってきた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面「国定価格を云々するのなら、国が工場を正常稼働させなければならない」
「工場には故障した機械が山積みにされていて、資材もない。結局は国境の向こうから入ってくる商品を売ることになるのだが、これを国定価格で売れとは、話にもならない」
今月16日の時点で、1ドル(約150円)は概ね2万北朝鮮ウォンで取り引きされている。年初に2万2000北朝鮮ウォンを超えていたのと比べると、かなりウォン高に戻ったが、そもそも昨年5月末までは、8000北朝鮮ウォン台をキープしていたことを考えると、依然として北朝鮮ウォンの価値は下がったままだ。
その原因について、当局は「トンデコ(闇両替商)が外貨を買い占めたから」という的外れな分析をしているが、実際は通貨供給量が急激に増えたせいだと見られている。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面金正恩政権は昨年春、労働者の賃金を10倍以上上げた。従前の月給はコメ数キロしか買えないほど低かったが、これは食料品や生活必需品が配給されるため、現金はほとんど要らなかった1980年代以前の状況に基づいた算定額だった。
そこで、当局は賃金を大幅に引き上げると同時に、国定価格を設定した。また、コメなどの穀物を含めた多くの品物の市場での販売を禁止し、消費者に国営商店で買うように誘導した。
(参考記事:金正恩が決めた「商品価格」が北朝鮮の市場で絶対に守られない理由)市場の機能を、余剰農産物を売るだけだった1980年代以前の状態に戻し、国民は給料と配給だけで生活ができるようにするのが目的だったようだ。当局また、国民の多くが市場で商売をして、その収入で生活を成り立たせる資本主義的な状況からの脱却を目論んでいたようだ。
しかし、急激に増えた通貨供給量が激しいウォン安を引き起こした。生活必需品の多くを中国からの輸入に頼っているため、ウォン安により販売価格は上昇した。また、国産品も原材料が中国製の場合が多いため、こちらも価格が上がってしまった。10倍になった給料でも何も買えない状況へと回帰してしまったのだ。
(参考記事:北朝鮮「骨と皮だけの女性兵士」が走った禁断の行為)それを強権的に押さえつけようとする国に対して、消費者からも批判の声が上がっている。
「国は、市場の商人の苦境をわかっているのか」
「商人の事情を見てから話をすべきではないか。力付くで指示を守らせて生き残れる人がどれくらいいるのだろうか」
商人は、商品を国定価格で販売すれば損をするだけだ。既に市場から撤退して、闇で物を売る動きが出始めている。各地の市場が空きテナントだらけというのは、商人が国定価格の強制を嫌ってのことだろう。
(参考記事:市場を壊滅に追い込んだ金正恩流「地方創生政策」)一連の流れを見ていると、大失敗に終わった2009年の貨幣改革の前轍を踏んでいるかのようだ。
なしくずし的に進む市場経済化を嫌った金正日総書記は、かつての計画経済を取り戻すために、旧紙幣をいきなり廃止して、新紙幣への交換に限度額を設けた。これにより商人が溜め込んでいた資産が紙くずとなった。
韓国に亡命した元駐英北朝鮮公使の太永浩(テ・ヨンホ)氏は著書『三階書記室の暗号 北朝鮮外交秘録』で、当時の様子を次のように記している。(和訳はデイリーNK編集部)
大規模な抵抗が起こった。商店が閉じられ、市場から商品がなくなった。朝鮮労働党平壌市委員会責任書記の金万吉(キム・マンギル)が住民の前で謝罪し、すべての商業活動を再開するよう訴えたが、何の役にも立たなかった。住民の反発に金正日は大きく驚いた。北朝鮮の指導者の一言で、臆病だった住民が集団で抵抗するとは予想していなかったのだ。
コメ1キロの価格は、50北朝鮮ウォン前後だったが、当局はこれを16北朝鮮ウォンで販売するように強制した。それに反発した商人は、市場から商品を完全に引き上げてしまったのだ。
その後、当局は市場での食料品の販売を禁止し、また、市場の機能を縮小させるために、食料品の販売を禁止し、国営商店だけで販売するようにした。その後に、労働者の賃金を100倍に上げた。さらには、市場を全面的に閉鎖し、民間人の商行為を完全に禁止した。わずか1カ月半の間に起きたことだ。
商人は商品を闇で販売するようになり、通貨供給量の増加で激しいインフレが起きた。わずか1年でコメの値段は100倍、3年で300倍となった。通貨を100分の1に切り下げた意味が全くなくなってしまったのだ。
今回の一連の措置は、2009年と比較して緩やかなスピードで行われているが、ほぼ同じ道を辿っている。金正恩総書記は、国の経済を崩壊させた父・金正日氏と同じ轍を踏むまいと意図したとみられ、2010年代には市場への介入をあまり行っていなかった。
しかし、コロナ禍と、自らの神格化を始めた2020年前後から、市場経済を抑え込み、計画経済に戻す取り組みを始めた。そして、国民は飢えに苦しみ、金正恩氏や朝鮮労働党に激しく反発している。
ちなみに、各地方政府の財政は、市場の商人から取り立てる市場使用料(ショバ代)や商品保管料に大きく依存している。市場がもぬけの殻となれば、財政的に苦しくなり、中央の命令の執行ができなくなる。一連の政策は、誰も得をしないのだ。