北朝鮮のサンタクロース

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?22日、三合税関前で会った中国朝鮮族の伝道師、チョン・ミョンウ(仮名)さんは、毎年北朝鮮を訪問して孤児院やコチェビの収容施設への支援活動を続けている。延辺のY教会所属で、教会内の対北宣教を担当している彼が初めて北朝鮮に行ったのは1998年だった。

現在、延辺地域の朝鮮族の教会と韓国人教会は、中国の公安当局の圧力のため、多くが脱北者支援活動を中断している。だが、チョンさんのY教会は、規模は小さいが脱北者への支援活動を密かに続けている。

2004年からは北朝鮮内部に対する支援活動の必要性に注目し、チョンさんを含めた朝鮮族の伝道師たちが、毎年北朝鮮を直接訪問している。しかし、中国の教会が支援していると明らかにすることはできない。

中国の教会を通じた支援の事実が明らかになれば、チョンさんの助けを借りた人全てが大きな災難にあう可能性があるからだ。阜?ォには親戚訪問を装い、物資の支援も知り合いを通じて密かに伝達する。

- Y教会で行っている対北支援活動について手短かに紹介してください。

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“‘対北支援活動’と大袈裟に言う水準ではありません。教会員たちの力を合わせて、食糧や古着、粉ミルク、医薬品などを新調して、機会がある度に北朝鮮を訪問して、子供やお年寄りに配っています。 1回北朝鮮に入って行く時、普通1~5トンの物資を持って行きます。外国の教会の牧師さんたちが手伝ってくれることも少なくありません”

- 伝道師の方たちはどのように北朝鮮に行くのですか?

“アメリカやヨーロッパ、あるいは韓国の大きな団体は公式に北朝鮮政府の招請を受けて訪問しますが、私たちのような小さな教会は公式の招請を受けることができません。特に、西側や韓国の教会は公式な支援ルートを通じて入るため、政府に拒否感はありません。けれども、中国の教会と言ったら絶対に許可が下りません。

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そのため、北朝鮮に親戚が住んでいる伝道師や教会員が親戚訪問の名分で北朝鮮に入って行きます。その次に、あらかじめ計画した所に支援物資を伝逹します。それもこっそりと行います。支援品が中国の教会から伝わったことが分かれば、スパイとして追われることもあります”

-支援品を受ける北朝鮮の人々はどのような階層ですか?

“両親がいない孤児や障害者、独居のお年寄りに優先的に支援物資を伝達したいというのが私たちの心情ですが、実際には容易ではありません。北朝鮮に国が運営する孤児院やコチェビの収容施設がありますが、私たちのような外国人には見せようとしません。

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そうした施設に支援品を送ろうと、北朝鮮当局者と連携をとろうとしても、彼らが孤児などの存在自体を否定します。しかも、私たちのように親戚訪問を目的に北朝鮮に入って行った人々は、むやみに歩き回ったり人に会うこともできないため、公開された支援活動は不可能です。

今は孤児院やコチェビの収容施設の実務責任者と密かに取り引きをします。北朝鮮の知人にお願いをして、施設の責任者と連携を結びます。面白いことは、施設の責任者たちが私たちの支援品をもらうという条件で、裏金を要求することです。

こうした支援の事実が上部に知られたら、自分たちも立場が危ないと言います。支援品をもらって施設の収容者たちを食べさせることができれば、幹部の功績として評価されるのに、このように図々しいふるまいをします。北朝鮮の幹部は個人的な利益がなければ、どんな仕事も進んでやりません”

-こうした個別で小規模な支援活動がどのような意味を持つと思いますか?

“このような支援活動の意義に対しては、教会員の間でも意見の差があります。北朝鮮に入る支援物資は大っぴらにできないので、むしろ中国の脱北者を助けることに力を傾けようという意見もあります。私たちは私たちが届けた支援物資が、北朝鮮の人たちにとって、物質的に大きな役に立っているとは思っていません。

それに該当施設の責任者が、どれだけ着服するかも確認できません。けれども、私たちが支援品を持って入って行けば、その地域の住民たちにすぐうわさが広まります。私たちは北朝鮮の住民が私たちの真心と心を憶えてくれるはずだと信じています。

将来、北朝鮮の政治が変わって開放されれば、私たちが神様の意志に従って彼らのそばに立とうとしたことを分かってくれるだろうと期待しています。もし私たちの努力に大した効果がないとしても、神様が見守っていらっしゃれば高「ません。これは全て、神様の働きにすぎず、私たちは代理人にすぎません”

-今まで北朝鮮に何度も行って来たのですか? 思い出せるエピソードはありますか?

“私は今まで11回行きました。2006年の春に訪問した時には、私が中国で聖書の勉強をさせた子供に会いました。私が中国に連れてきた時は14歳の少年でしたが、背が高い青年に育ちましたよ。

私は最初はその人を見間違えました。その人が私に気づいて近付いてあいさつをしました。とても嬉しくはありましたが、北朝鮮で私が宣教事業の担当者ということが知られるのではないかと心配したことを思い出します。その子が何の話もしていないようで、ありがたいです”

-豆満江の国境から北朝鮮に入って行く手続きについて、手短に紹介してください。

“中国のパスポートがあり、北朝鮮に親戚がいるということが証明できれば、北朝鮮に入って行くこと自体は難しくありません。北朝鮮の税関を通過することがカギです。税関の職員に与えるタバコやお酒、ソーセージなどを充分に準備しておけばめんどうなことはありません。手回しフィルムカメラは持って行くことができませんが、デジタルカメラは持って行くことができます。

帰って来る時は北朝鮮の税関でいちいち写真をすべて検査して、問題になるものは削除するようにします。また、北朝鮮に入って行く時に持って行くお金を、出る時にそのまま持って来たら、いいがかりをつけられることが多いです”

-北朝鮮を訪問する時、一番難しい点は何ですか?

“北朝鮮に入って行く前はいつも興奮しますが、実際に北朝鮮の税関を通過したら実は怖さも感じます。中国に戻ることができなければどうするかという漠然とした不安があります。そのため、北朝鮮に入って行ったらよりたくさんお祈りをするようになります。また、北朝鮮は道路がよくなく、車が不足しているため、物資を持って移動することが一番大変ですね”

-最近、住民の生活はどうですか?

“数年間、咸鏡北道の多くの地域を見ましたが、住民の生活は相変らず大変です。それでも10年前のように道端に人が倒れていたり、飢え死にする人がいるわけではありません。食べる問題が回復し、テレビと自転車も増えましたが、基本的な生活は相変らず大変です。

セメントが高いので、炭の粉でレンガを作って垣根を作っている人も多いです。最近は学校に行かないで農業や労働に動員される子供もたくさん見られました”

-もうすぐクリスマスです。北朝鮮で過ごされるのですか。

“北朝鮮の住民はまだ聖書もよく知らず、イエス様もよく知りません。クリスマスも知りません。もちろん、私が北朝鮮に行って住民にイエス様の誕生について語ることはできません。けれども、北朝鮮にいる信者たちと“今日、イエス様が生まれましたね”と話すことはできます。北朝鮮の信者たちにとっては大きな力になると思います。

クリスマスはすべての人に祝福がある日です。北朝鮮の住民も例外ではありません。飴1袋、米1袋でも彼らによろこんでもらうことが重要です。私にとっては人生で一番意味深いクリスマスになりそうです”

正門を守る哨兵の手信号が下りると、支援物資を積んだ貨物運搬車が三合海関の前庭に入って行った。三合税関には記者は入って行くことができない。

お別れの握手をした瞬間も、チョンさんの視線は通関の手続きを待つ支援物資に向けられていた。手を振って背を向ける彼の姿は、善良なサマリア人のようだ。2007年、東北地方のサンタクロースはこうして豆満江を渡って行った。