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北朝鮮メディアが最近重点的に宣伝している平壌の普通江整備工事は、金正恩が先代とは違い住民生活に変化をもたらし、経済分野における内閣の地位が大幅に強化されることを象徴的に表す建設事業であるとの分析がなされている。

金正恩の指示で始まった「普通江整備工事」は、平壌市で例年発生する大規模洪水を防ぐための河川整備事業の一環。労働新聞は12日、普通江整備工事と関連し、ヒョン・ヨンチョル総参謀長などが参加した軍人決起集会の模様を伝えたのに続き、二日後には崔永林(チェ・ヨンリム)内閣総理が現地視察したと伝えた。

同紙はこれらの様子を伝えると共に「金正恩元帥様の雄大な国z」と伝えた。メディアの宣伝と現場の写真を通して人民軍と装備が大量に投入された状況がうかがえる。平壌放送は15日、「泥土除去が60%完了した」とし、工事が迅速に進行していること伝えた。

今回の工事で特に注目されるのは、崔永林内閣総理が現場を訪問して軍の献身的な闘争を要請し、汚水浄化事業と周辺管理対策などを指示した点だ。これは今後、経済分野での内閣の役割が大幅に強化されることを示唆している。

平壌出身の脱北者、キム・ギチョル(仮名)氏は「普通江は今までまともに管理されてこず、堆積物が多くたまり臭いも酷かった。このような住民の不満を解消しつつ、金日成-金正日の領導を継承する次元の事業だ」と説明した。

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キム氏は「人民武力部が担当する工事現場に内閣総理が訪問して工事を点検し、対策について議論するのはとても異例的。これは工事は軍部隊が全面的に引き受けるが、内閣が経済事業に対する計画と指導を総括するという、新しい経済管理体系方針を反映したもの」と分析した。

普通江は平壌市兄弟山区域の北側上流に始まり、西平壌地区の西城区域、牡丹峰区域、普通江区域を通り過ぎ平川区域と万景台区域の境界の間で大同江と合流する55.2?の河川。

普通江は1940年代まで小規模の洪水でも河川の水が氾濫し、周辺地域の住民が莫大な被害を受けてきたため、「災難の河」「涙の河」などと呼ばれてきた。1946年5月21日、金日成は「普通江改修工事」を重点事業として提案、工事現場に出向きスコップを握る姿を見せた。

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その後、北朝鮮当局は全域にある「金日成革命歴史研究室」に「普通江改修工事で最初にスコップを握られる金日成同志」というタイトルの写真を掲げ、北朝鮮住民に彼の「人民愛」を宣伝する手段として活用してきた。また夫人の金正淑は4歳の幼い金正日を連れて工事現場に出向き、建設動労者を手伝う姿を見せたりもした。

改修工事25周年を迎えた1971年には、ボンファ山の丘に13mの高さの「普通江改修工事記念塔」が建てられた。2006年には「普通江改修工事60周年記念切手」が発行された。

70年代に入り、金正日は普通江区域に大規模(普通江上流からサンガン湖までの10km区間)遊園地を建設した。ここには水泳場、スケート場、小規模動物園をはじめ、平壌体育館、氷上館、チョンユ館(大規模食堂)などを建設し、普通江が「楽園の河」「幸福の河」に変わったと宣伝した。

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また日本植民地時代、洪水被害が酷く「涙の土城廊」と呼ばれていた村の様子と、金日成執権後、治水事業が完了し被害がなくなった様子を比較した記録映画「普通江のほとりに宿る伝説」を制作し、金氏一家の業績として宣伝した。

しかし1980年代以降、補強工事が中断。堆積物がたまり始め、梅雨の時期になると河川が氾濫する現象が繰り返されてきた。河川の周辺では悪臭が漂い、住民らは「下水川」呼ぶほどだった。金正恩は今回の補強工事推進決定を通して、自身が金正日時代の難題を解決できるという点をアピールする意図がうかがわれる。

キム氏は『当時平壌には「大同江補修事業所」をはじめ、河川整備事業所があったが、電気と燃料の不足、設備の老朽化で、労働者はいかだに乗って水面を漂う浮遊物除去のみ行った。今回の普通江整備工事は金正日時代にできなかった事業が金正恩時代では可能だという点を見せ付けており、住民の期待を高める目的もあるようだ』と話した。