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北朝鮮当局が住民取締りの一環で「韓国に拉致された後、共和国の懐に再び抱かれた」と主張するパク・チョンスク氏の記者会見の様子をTV放映した。が、むしろ韓国に対する憧れを刺激しているという。

朝鮮中央TVは29、30日の2日間、パク氏の内外信記者との会見風景を北朝鮮全域に放送した。同放送はパク氏が中国で韓国の国家情報院の要員の「誘引戦術」にかかり、2006年6月29日韓国に行き、6年間「奴隷と変わりない生活」を強いられた後、今年5月北朝鮮に戻ってきたと伝えた。

内部消息筋は「29日実況中継が放送され、30日にも録画放送が流れた。パク氏をよく知る人は脱北する前よりも健康で若くなった姿に驚いていた」と伝えた。

さらに「羅南区域に住む住民は『七盾ノもなる老人が党幹部よりも血色がよく肉付きがいい。暮らしが良かったのだろう。田舎の老人が数年で海外同胞のように垢抜けた』とむしろうらやましがっている」と話した。

パク氏は清津市羅南区域に住んでいる当時、羅南区域と水南市場を行き来しながら商売をしたという。消息筋は当時パク氏と親しかったとある60代の女性の言葉を引用し、「市場の商人たちはTVに出たパク氏の話でもちきり。ここに住んでいる時はしわくちゃで色黒の老女姿だったのに、韓国での生活のお陰で10年以上若返った。貴婦人のようだ」と話した。

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また「パク氏を知る人は韓国の暮らしがいいため、肉も付き、血色もよくなったと驚いている。韓国で楽に暮らしていたが、止むを得ない事情で戻ってきたのだと住民も考えている」と話した。

さらにパク氏が北朝鮮での生活に耐えられず再び脱北する可能性が高いとの推測もされているという。住民らは「ここ(北朝鮮)の生活が苦しくなったら、また脱出する可能性が高い。一度いい暮らしをしたため、心はいつもあちら(韓国)にあるもの」と話している。パク氏のように北朝鮮に戻ってきたが再び脱北した「キム・ナムス事件」が思い出される。

キム氏は1996年当時、咸鏡北道穏城郡の傘工場支配人として勤務中、不正行為の疑いがかけられ脱北した。韓国に定着後、4年後の2000年に北朝鮮に帰還した。北朝鮮当局は30万ドルを党に寄付したキム氏を収容所に送らず体制宣伝用に活用した。

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キム氏は当時、工場や人民班を対象に「辛い韓国社会での体験談」というテーマで巡回講演を行った。その後キム氏は金正日の「配慮」のお陰で咸鏡北道穏城郡にある「恩徳院」(大衆浴場、理髪所)の支配人として復帰した。しかし監視と統制が継続する中で、実権はなく操り人形扱いだった。2001年息子(10)と女性理髪師(30代)と共に再び脱北した。

住民らは当局がパク氏に平壌のアパートを与えたのも脱北を防止するためだと解釈している。消息筋は「何が嬉しくて平壌のアパートに住ませるのか。国境地域から遠く離れた場所に住ませて逃げられないようにするのが目的なのは見え透いている」と話した。