日本で新聞発行が止まることはまずない。東日本大震災の各被災地でも新聞発行が続けられた。例えば、宮城県の河北新報の場合、災害協定を結んでいた新潟日報で制作を行い、河北新報の印刷所で印刷した。
あの原爆投下の時ですら、新聞発行が止まったのは2日間だけだった。広島の中国新聞社は1945年8月6日の原爆投下で記者の3分の1が犠牲となり、本社ビルが全焼した。しかし、朝日新聞、毎日新聞の西部本社の輪転機を使い、9日は新聞発行を再開した。それまでの2日間は、報道すべき内容を街を回って口頭で伝える口伝隊が活躍した。翌月3日には、郊外に疎開させていた輪転機を使って独自の印刷が始まった。
どのような状況下においても、「ニュースを伝える」という本分を果たそうとするのが、新聞社、そして記者の使命だ。ところが、北朝鮮ではどうもそうではないようだ。
北朝鮮の地方紙である開城(ケソン)新聞は、平時であるにもかかわらず、10日にわたって発行を停止したのだ。何が起きたかを、現地のデイリーNK内部情報筋が伝えた。
開城新聞は先月初旬、設備の故障と停電により、10日間も発行を停止した。ようやく回復した後に新聞発行を再開したのだが、発行できなかった10日分の新聞を一度に印刷する荒業で乗り切ろうとしたという。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面地元の朝鮮労働党開城市委員会(市党)は、新聞の発行が止まっていたことに気づいていなかったのだ。行政当局ですら、情報を伝えるメディアとしての機能を、開城新聞に期待していなかったことの証拠と言えよう。
ところが、市党は後日、新聞発行が止まっていたことに気づき、激怒した。市党は、新聞社内の党委員会、技術設備担当者全員を呼びつけ、批判書を書かせた上で、印刷工場のイルクン(幹部)を集めて、問題点克服のための会議を開いた。
(参考記事:金正恩氏が自分の“ヘンな写真”をせっせと公開するのはナゼなのか)
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面市党は、報告が遅れた点、報告せずに隠蔽しようとした点、10日分の新聞を一度に印刷、発行したことが印刷工場の内部告発ではなく、他の機関からの指摘でわかった点などを大問題だと指摘した。
印刷工場のイルクンは、「新聞社からは毎日決められた時間に記事が送られていたが、設備の不良と停電によりどうしようもなかった」と釈明した。しかし市党の怒りは収まらないようで、「どんな状況であっても新聞社は新聞を日付通りに発行せねばならない。それができなければ、開城市は10日間死んでいたも同然だ」と激しく非難した。ただ、「死んでいた」ことに1週間以上も気づかなかった市党の責任は、棚上げされたようだ。