平壌に到着した時、北朝鮮当局が外部世界に映し出される北朝鮮のイメージを改善するため、かなり神経を使っているという印象を受けた。筆者は北朝鮮訪問経験がある人から、1960年代にイリューシンに乗って北朝鮮を訪問したという話を聞いた。今回の訪問は新型のツポレフという機種を利用したのだが、ガタガタする感じもなかったし、機内食も悪くなかった。

平壌に向かう飛行機の中で、隣の座席には朝鮮総連所属の老紳士が座っていた。彼は金日成を信奉する非常に熱心な支持者だった。彼は金日成の業績に対し、ただただ感謝するのみと話した。また韓国が「日本に住む韓国人を韓国人として扱わなかった時代」に偉大なる首領様は非常に多くのことをしてくれたと話した。

彼は韓国で生まれたが、第二次世界大戦の際に日本に連行され、終戦後韓国に戻ろうとしたが帰られなかったそうだ。金日成の援助のお陰で無料で学校に通うことができたと話した。その当時とは違って、最近の北朝鮮が日本の学校に注ぐ関心は非常に少ないと話した。

いくつかのメディアで報道されているように、平壌の順安空港はリニューアル工事中だった。未完成状態の空港で、多くの観光客が臨時の入国ゲートと税関を使用した。税関関係者は私に「アイポッド・タッチ」が何なのかと聞いた。私はmp3プレイヤーだと答え携帯電話ではないと答えた。関係者は私の回答にとても満足したかのように、何事もなく通過させてくれた。仮にそれがアイフォンだと答えたとしても、北朝鮮に持って入ることができたのではと思った。

私が見た限りで3人程度がFMラジオ機舶tきの「アイポッドナノ」を持って入国した。北朝鮮はこの存在を知らないか、どうでもいいと思うようだった。全ての外国人が税関錐垂?Iえ、快適でエアコンの効いた涼しいバスに乗り24km離れた平壌へと向かった。

道路の両脇にある畑という畑は栽培がうまく進んでいないような感じだった。不自然だったのが、まだ撒かれていない肥料が畑ごとに山積みに積まれていた。これらの肥料は糞尿と食べ残りで作られていた。工場で生産される化学肥料はどこにも見当たらなかった。このような風景は全国的に繰り返された。

そんななか希望を感じられたのは、何台かのトラクターが使用中だったことだ。古い旧式のトラクターだったが、少なくとも燃料があるという証拠だった。私はポジティブな現象だと思った。北朝鮮では手作業や牛を使ってのみ農業を営むという私の考えが変わった。北朝鮮にいる間、たくさんの牛を目にした。しかし牛は農業を手伝うのではなく、材木や麻袋を運搬するのに使われていた。そのような風景にもかかわらず、主要な動力の基本は人間の手だということは明らかだった。

北朝鮮政府が低層アパートを建設するブームが起こるなか、都市が広くなっているという印象を受けた。建築は進行中だが建設過程はとても原始的に見えた。工事が間もなく終わるだろうという感じはしなかった。敢えて言うほどのことでもないが、労働者の働く環境は安全には見えなかった。機械的な物はほとんど見られなかった。北朝鮮の人々が新しい建物に引越しするのを嫌がる理由が分かる気がした。

平壌での最初の訪問地は万寿台でもなく金日成の銅像でもなく凱旋門だった。凱旋門自体は立派だったが、活気にあふれる場所ではなかった。私が見る限り、凱旋門にいた人々は観光客かそこを警備する保安要員だけだった。とても退屈な光景だった。

広場からそう遠くない、退屈には見えない場所は金日成競技場と青少年遊園地だった。そこでは子供や女性たちが公演準備の真っ最中だった。また小さな博覧会が開催されていた。移動式屋台のような場所では各種スナック、ジャガイモ、トウモロコシ、チキン、ドリンク、ビールが販売されていた。私はビールを買い外貨が使用できるか聞いたところ、二人の若い女性が丁寧に不可能だと答えた。

そこで売られている食べ物は大規模に供給され、商売もうまくいっているように見えた。人々は行事を楽しんでいるようだった。外国人がいるべき場所ではないためか、人々は私をとても注意深く見つめていた。やむを得ずそこにいた人々と多くの会話をすることはできなかったが、私が平壌市民を初めて見ることのできる機会だった。

彼らが着ていた服は上等には見えなかったが、何人かはお洒落なジャケットと最新のヘアースタイルをしていた。印象的だったのは通り過ぎたり、話したり、遊んでいる子供たちのなかで、数人がディズニーアニメーションのキャラクターが描かれた服を着ていたということだ。

映画「グッバイ平壌」でソナという女の子が話したフレーズが思い出された。「ミッキーマウスが付いた靴下一足程度なら履いても大丈夫…ミッキーマウスを知っている人はそう多くないから…」。今では反対にたくさんの人々がミッキーマウスが描かれた服を着ていたため、ミッキーマウスが描かれていることを分かって着ているのかが気になった。

太陽節当日の朝、軍事パレードを玉流橋の端から観覧できるという許可が下りた。ここは平壌でも指折りの場所のひとつであり、建設が継続的に進行中であるためか、日を追うごとに立派になっていくようだった。大同江と玉流館のすぐ向かい側には万寿台を近くに控え展望のよいアパート団地が位置していたのだが、とても近代的に見えた。

ひとつ違和感を感じたのは、川端にテントを張って生活する労働者だった。おそらく建設労働者だったと思う。労働者の生活が見える最も近い距離から彼らを観察した。そこにはトイレ、食堂、相談空間があった。しかしあちこちに座っている男たちはかなり疲れているようだった。また食事もとれていないようだった。太陽節の軍事パレードに動員された女性たちに比べ、とても対照的な姿だった。女性たちは活気にあふれていたし、ショーのために薄く化粧もしたようだった。

しかし人々は誰もが自分が置かれた環境への非常に強い適応力を備え持っているようだ。予想通り、労働者たちは自分たちが楽しい気分になる方法を知っているようだった。休み時間に生き生きと足球(フットボールテニス)を楽しむ光景を見ることができた。似たような光景をその後も幾度か目にした。