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11日平壌で開かれた第4次党代表者会で、金正恩が中央軍事委員会委員長と党政治局常務委員に就任したと朝鮮中央通信は12日報道した。

同通信は「労働党規約と労働党最高指導機関選挙細則により、労働党第1書記金正恩同志が党中央委員会政治局委員、政治局常務委員、当中央軍事委員会委員長に推戴されたことを宣布する」と伝えた。

2010年9月28日の第3次党代表者会で改正された労働党規約では、党総書記が党中央軍事委員会委員長を兼職することになっている。そのため北朝鮮は党中央軍事委員会委員長職を第1書記が兼任すると党規約を改正したと思われる。

同通信は党代表者会で党規約改正が決定されたと報道した。今回の党規約改正により金正日は「永遠の総書記」「労働党と朝鮮人民の永遠の首領」であり、労働党は「金日成・金正日の党」と規定された。新たに設置された第1書記職については、「第1書記は党の首班として党を代表し、全党を領導、金日成同志と金正日同志の思想と路線を実現していく」とされた。

7日に人民軍次帥に昇進した崔龍海(チェ・リョンヘ)は政治局常務委員と党中央軍事委員会副委員長に任命された。また軍を実質的に管理・統制する軍総政治局長に任命され、金正恩体制の核心勢力として浮上した。

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彼について同通信は「労働党第4次党代表者会は党中央指導機関メンバーを補選・選挙・任命した。崔龍海を党中央委員会政治局常務委員会委員に迎えるため補選を実施し、党中央軍事委員会副委員長に選出した」と伝えた。 また、同日補選により選出された労働党政治局常務委員、委員、候補委員らの略歴を紹介、崔龍海については「党中央委員会書記を経て2012年4月から朝鮮人民軍総政治局長として活動してきた」と報道した。

崔龍海はいわゆる「抗日パルチザン1世代」の中でも真っ先に金正日後継者擁立に関与した崔賢(チェ・ヒョン)元人民武力部長(1982年死去)の次男である。

彼は金正恩後継体制が公式化された2010年9月の第3次労働党代表者会で党中央委員会書記、党政治局候補委員、党中央軍事委員などの要職と共に、人民軍「大将」称号が与えられており、金正恩体制の核心人物として急浮上した。1年7ヶ月後には次帥に昇進した。

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党組織事業の経験が豊富な崔龍海が労働党政治局常務委員と中央軍事委員会副委員長、総政治局長に任命されたのは、軍内での党の領導力を強化するためと解釈される。

1950年生まれの崔龍海は1998年金日生社会主義青年同盟第1書記として在職中、汚職事件への連累により解任、平壌市上下水道管理所党書記に左遷された。5年後の2003年8月、党総務部副部長として復権した。翌年の2004年、張成沢が分派行為で粛清された際、側近らと共に権力の一線から追放された。2005年張成沢が党行政部長に復権すると同時に、崔龍海も翌年3月黄海北道党責任書記に抜擢された。そのため崔龍海は張成沢の最側近として評価されている。

また今回の党代表者会で張成沢が政治局委員に選出され、核心勢力であることが改めて確認された。この他に金正角(キム・ジョンガク)人民武力部長、朴道春(パク・ドチュン)党書記、玄哲海(ヒョン・チョレ)次帥、金元弘(キム・ウォノン)大将、李明洙(リ・ミョンス)人民保安部長なども党政治局委員に選出された。

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この他に、呉克烈(オ・グンニョル)国防委員会副委員長、郭範基(クァク・ボムギ)元咸鏡南道党責任書記、盧斗哲(ノ・ドゥチョル)内閣副総理、リ・ビョンサム朝鮮人民内務軍政治局長、チョ・ヨンジュン労働党組織部第1副部長などが政治局候補委員に選出された。

金正恩の叔母である金慶喜(キム・ギョンヒ)が党中央委員会書記として登場したことも注目される。病臥説がささやかれる彼女の重要ポストへの抜擢に関し、一部では「実質的なナンバー2の地位を行使している」との推測がなされている。

また郭範基も党中央委員会書記に昇進した。金永春元人民武力部長、朴奉珠(パク・ボンジュ)労働党軽工業部長などは党中央委員会部長に任命され、玄哲海、李明洙、キム・ラッキョムなどは党中央軍事委員会委員に選出された。

一方、北朝鮮の金元弘人民軍大将が最近、国家安全保衛部部長に任命されたことが同日確認された。同日の朝鮮中央通信は、前日の党代表者会で選出された労働党政治局委員などの略歴を紹介、金元弘については「2012年4月から国家安全保衛部長として活動した」と報道した。

1945年生まれの金元弘は2003年から2010年まで、人民軍保衛司令部(韓国の機務司令部)司令官として情報業務に携わった。2010年2月、人民軍総政治局組織部局長に任命されてからは金正恩の軍部隊視察にも随行した。今来、国家安全保衛部の実質的な責任者は禹東則(ウ・ドンチュク)保衛部第1副部長として知られていた。

玄哲海次帥も人民武力部第1副部長兼後方総局長に任命されたことが確認された。同通信は玄哲海について、「人民軍総政治局副局長、国防委員会政治部長兼総務部長を経て、2012年4月から人民武力部第1副部長兼後方総局長として活動した」と紹介した。