人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

2009年6月に金正日が清津大病院を視察した直後、病院前の道路に「人民の血と汗で生きている党中央は消えなければならない」という内容のビラが撒かれた。党中央は金正日を意味している。

病院前の道路に深夜に撒かれたビラは、周辺の道路や路地に風によって散らばった。ノート用紙サイズのビラは、党中央の批判に加えて、「党職員連中をみな殺しに」「黙っていないで動かなければならない」「金正日に騙されている」という内容が書かれていた。北朝鮮当局者を大いに驚かせた内容だった。
 
このビラによって清津市は朝から大騒ぎになった。住民は出来るだけビラを避け、目を向けない様にした。保安員が路地をしらみ潰しにビラを回収した。

ビラ散布者に対する捜査は、清津市保衛部が引き受けた。午前8時頃にビラを読んだ署能人を連行し、連行された住民は内容を一切口外しないことを約束して釈放された。保衛部はビラ約200枚が同じ筆跡である点から、政権に恨みを抱いた者の仕業であると判断して捜査を始めた。

咸鏡北道保衛部では全体会議も開かれた。国家安全保衛部・中央では、事件を解決する保衛部員に「英雄称号」を授与するように指示を下し、1ヶ月以内に解決出来ない場合には、道保衛部局長を更迭すると圧力を加えた。

道保衛部は全ての情報網を総動員して、清津市の全住民を対象に筆跡調査と身元の把握を行った。少しでも疑いがある人には、即座に情報員が投入された。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

保衛部は、紙を販売する商人の周辺に情報員を配置させた。また、筆跡鑑定では左手で書いたとの結果が出た為、清津市住民に左右両手で字を書かせるようにした。

また、保衛部はビラ内容から、長期間に渡って体制への不満が蓄積された50〜70代の犯行と推測した。また、200枚を手書きで書ける程の時間に余裕がある人物と考えた。

情報員を通じて毎日数多くの人々が容疑者として報告された。情報員はビラを激しく否定しないかったとの理由だけでも容疑者として報告したほどで、その数は爆発的に増加した。英雄称号に目が眩み、道保衛部員が情報員を手当たり次第に採用した。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

この当時、住民はビラの話を持ち出す人は情報員だと疑う傾向が生まれた程だ。結果として情報の錯誤だけが発生し、保衛部は情報員の撤収を指示した。

事件発生から20数日後、清津市ソンsョン区域の保衛部が犯人を検挙して一段落したかと思われた。同区保衛部部長と反探課長が情報員から「私もビラを撒くつもりだった」と発言した容疑者がいるという情報提供を受けて逮捕し、拷問を通じて偽の自白を行わせた。この容疑者への取り調べは6ヶ月間行われた。

保衛部はこの容疑者を水拷問にかけた。その後、道保衛部が資料の検討を行い、陳述書を確認し、中央国家安全保衛部に報告が提出された。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

しかし、最終審査の過程での調査結果がひっくり返った。この容疑者が再調査の過程で「私は情報員の『政権に反感があるなら、ビラを撒くのか?』という問に対し、『有りえるんじゃないか』と返事しただけだが、次の日に逮捕され拷問を受けた。健康も悪く耐え切れずに全てを認めただけだ」と供述した。中央レベルで事件の再審の結果、容疑者に嫌疑なしと結論付けた。

この捜査を主導した保衛部局長は解除された。捜査を担当した反探課長は労働鍛錬隊に送られた。国家安全保衛部は、誤認逮捕被害者の一生をソンsョン区域保衛部が面倒を見るように指示した。結局、ビラ散布者は逮捕されないまま捜査が終わった。英雄称号に目が眩んだ幹部2人が解任された結末となった。