その時は朝日両国政府間合意によって成立したが、韓国に来た脱北者1万人は、金正日政権の弾圧と国境封鎖をくぐって出て来た人々だ。北朝鮮政府にだまされて北朝鮮へ行った北送海外同胞たちもまた、脱出して日本に帰って来ている。しかし、脱北者たちは金正日政権が変わるまでは故郷に帰ることができず、行く人もいない。
筆者も‘鴨緑江の歌’を歌って北朝鮮を去ってから7年経った。
豆満江に立って北朝鮮の領土を眺めながら固めた決意があった。一歩踏み出せば‘反逆者’になる分かれ道だったが、 決心してためらうことなしに豆満江に跳びこんだ。全身に押し寄せる川の水の冷たさが今でも鮮やかに思い出される。
川を渡る前、川辺に座って故郷に向かって“お父さん、お母さん垂オ訳ありません。そして故郷よ、故郷が嫌いで行くのではない。必ず解放してまた帰って来る”と念を押し、豆満江の水に身を投げた瞬間を忘れることができない。
来いと言われて行く道でもなく、喜ぶ人もいない異国で脱出を試みる身の上が悲しくもあったが、もう朝鮮には希望がない。ただこの川を渡れば自由と食べ物を得ることができるといううわさを信じて川を渡ったのだ。