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2018年に韓国で出版された「金正恩も必ず知っておくべき本当の北朝鮮の内実」は、脱北して現在は韓国に住むイ・ヨンジュさんの証言録だ。

1997年3月、1回目の脱北後に中国人男性と出会って結婚し娘をもうけたが、不法滞在者としていつ北朝鮮に強制送還されるかわからない不安感から韓国行きを試みた。当時、脱北ルートとして使われていた中国の内モンゴル自治区からモンゴルに向かう途中で、中国の辺防隊(国境警備隊)に逮捕され、吉林省図們の国際辺防管理所に送られた。

(参考記事:中国の収容所が「超満員」に…食糧難で脱北者が増加

その後の2006年9月に北朝鮮に強制送還されたイさんは、咸鏡北道(ハムギョンブクト)穏城(オンソン)の保衛部(秘密警察)集結所に勾留されたが、単純経済犯として扱われて、労働鍛錬隊に入れられた。これは刑期の短い犯罪者を収監する刑務所だ。

釈放された彼女は、娘と夫に会うために2006年11月、再び国境を流れる豆満江を渡り中国に向かった。韓国行きを準備しつつ他の脱北者とともにアジトで暮らしていたところ、何者かの密告で逮捕され、今度は遼寧省丹東の辺防管理所に送られた。

2007年3月に強制送還され、平安北道(ピョンアンブクト)新義州(シニジュ)の集結所に入れられた。40日間の取り調べを受け、労働鍛錬隊送りの処分を受けた彼女は、釈放されもともとの居住地に送り戻される途中で逃げ出して、再び脱走を図った。しかし、これも失敗に終わり、全巨里(チョンゴリ)教化所で3年間服役させられた。それにもめげず再び脱北を試みたイさんは、2011年7月にようやく韓国にたどりついた。

(参考記事:焼け残った遺体を犬が…北朝鮮刑務所の生き地獄

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最近、中国から北朝鮮に強制送還される脱北者が急増している。コロナを理由に受け入れを拒否していた北朝鮮が、受け入れに転じたからだ。送還されたら拷問を含めた厳しい取り調べを受け、単純犯罪なら教化所、韓国を目指していたことが判明すれば、管理所(政治犯収容所)送りになる。

デイリーNKは、4回の脱北、2回の強制送還、3年の刑務所生活を体験したイさんとのインタビューを行った。

ー最近、強制送還された脱北者たちが穏城と新義州の保衛部集結所に拘留されていると報じられているが、どんな場所か

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今思い出してもゾッとするほど環境が劣悪で、人権が全く守られていない場所だった。人が獣のように扱われる場所と言ってもいいだろう。狭い独房にもやしのようにぎっしりと人を閉じ込め、座ると他の人と足が当たり、少しも動けない状態で一日中すごさなければならなかった。夜も横になることができなかった。各独房には便所があったが、糞まみれのネズミがウロウロするなど、衛生のことなど全く考えられない場所だった。

食事は、じゅうぶん調理されていないワラビ入りのご飯に、具のない味噌汁が出されるが、固くて噛み切れなかった。国内製の再生プラスチックの器に盛られる。少しでも熱ければプラスチックの匂いがして食べるのが辛かった。

体を洗うこともできず、人が大勢いるため、ノミ、ナンキンムシ、シラミが非常に多かった。ご飯から血の味がして、ノミが入っているかと思った。女性として一番大変だったのは、生理用ナプキンはもちろん、ティッシュもないので、薄い布一枚しか使えず、朝に水で洗っても乾かせず、濡れたまま当てるしかなかった。

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(参考記事:若い女性を「ニオイ拷問」で死なせる北朝鮮刑務所の実態

ー保衛部集結所には女性戒護員(看守)や指導員がほとんどいないそうだが?

穏城の保衛部には女性指導員がひとりもおらず、新義州には女性軍人がひとりいた。穏城では、男性指導員が体に隠したカネを探すといって、人の前で女性をジャンプさせた。そうすると、女性器に隠しておいたカネが出てくるのだという。排便時にも男性指導員の前でさせられた。新義州では、女性を一部屋に閉じ込め、40代の女性軍医が、現金や貴金属を隠していないかと膣に手を入れて検査した。

ー集結所での取り調べは?

最初の3日間は取り調べをせずに独房で待たされる。その後、一人ずつ取調室に呼ばれ、なぜ中国に行ったのか、どのブローカーを利用したのか、中国で何をしていたのか、事細かく問い詰められる。重要なのは韓国に行こうとしたかどうかだ。それがわかると、二度と生きて出られない政治犯収容所に送られる。私と一緒にいた多くの人が耀徳(ヨドク)の収容所に連れて行かれたので、絶対に韓国に行こうとしたことを知られてはならない。

とに韓国行きを試みて捕まった人たちと口裏を合わせれればいいのだが、捕まると思っていなかったし、(取り調べを受ける)準備もしていかったので難しい。質問されたら1秒以内に答えなければならない。答えられないと角材で気を失うほど殴られることもあった。取り調べが終わると、死体のように引きずり出されてくる人がほとんどだった。

ーどうやって収容所行きを逃れた?

幸いなことに、穏城にいたころ、中国の公安から私の資料が渡されておらず、新義州でも韓国行きを試みたことが確認されなかったので、管理所行きを免れた。

集結所での取り調べが終わると、本来の居住地管轄の収容施設に移送される。驚くべきことに、護送するバス代やガソリン代を収容者に負担させる。担当の保安員が家にやって来て「あなたの娘を今、新義州労働鍛錬隊から連れてこなければならないので、車代と食費をいくら払え」と言ってお金を出させる。行きたくて行くわけでもないのに、国にはカネがないので個人に負担させる。

ー一緒に強制送還された人々の中には子どもはいた?

母親と共に連れてこられた3歳の子どもがいた。強制送還されると、親戚の家か孤児院に預けられ、母親と引き離される。新義州には臨月間近の妊婦がいたが、ある日の昼間に連れ出され、中絶注射を打たれた。

その夜、痛みのあまりうめき声を上げて苦しみ、冷たいセメントの床の上で子どもを生んだが、その死体はビニール袋に入れられ、どこかに捨てられた。現実とは思えない恐ろしい光景をこの目で目撃した。今思い出してもぞっとするつらい記憶だ。

ー初めて強制送還されて穏城の集結所に勾留されたのは2006年だが、それから17年経って施設の衛生状態や、勾留者に対する扱いは改善したと思うか?

今の北朝鮮の経済事情や人権状況を見ると、17年前より改善したものは何もないだろう。むしろ、コロナ禍を経て人々の生活はより厳しくなり、統制はより強化された。北朝鮮という国は、カネができたからと拘禁施設に予算を割くような国ではない。脱北した人々を祖国を裏切った獣にも劣る存在として扱い、そのような獣に人権などないという認識を持っている。17年前よりもいっそう劣悪で恐ろしい環境になった可能性が高いだろう。

ー2度の強制送還を経て韓国にたどり着けたあなたの存在は、強制送還され絶望している人々の希望になるのでは?

とても胸が痛い。私も経験したからこそ、もっと痛い。でも、あきらめないでほしい。中国に子どもがいるなら、その子のことを考えて生き抜いて欲しい。信念があるなら耐え抜いて欲しい。そして、生きて出てきて世界に向かって叫んで欲しい。