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28日、金正日の告別式が大雪の中で行なわれた。住民らは通常、遺体を運ぶ行列が開始する2時間前に道路に出るため、最低3時間以上に渡り寒さに震えなければならなかった。

この日午後2時から中継された金正日の告別式が生中継だったのか、それとも録画中継だったのかは未だ確認されていない。1994年にも録画中継を行った点、当局が突発事態に備えるという点、編集された画面が繰り返し映し出された点を見ると録画中継だった可能性がより高い。

告別式では金正日の大型写真を乗せた霊柩車を先頭に「偉大なる首領金日成同志の革命思想で徹底的に武装しよう」という宣伝看板の前を通り過ぎ、錦繍山記念宮殿前に入りながら本行事に突入した。

霊柩車は最高級リムジン

遺体を運ぶ行列の前方隊列を走った霊柩車は金日成の死亡当時に使用されたのと同じフォード社の最高級リムジン車である「リンカーン・コンチネンタル」だった。

霊柩車の上部には金正日の遺体が入っていることを象徴する棺が備えられた。棺を車両内部に載せる通常の方式とは異なる姿だ。この棺は北朝鮮の労働団旗で囲まれた。また、その上には白い菊の花が飾られた。赤い「金正日花」となる予想もあったが、一般的な慣例に従った。

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霊柩車は金正恩体制の中心人物らが護衛した。右側には金正恩が黒のコートをまとい車両に手を置いた状態で霊柩車を護衛し、その後ろに張成沢(チャン・ソンテク)、金己男(キム・ギナム)、崔泰福(チェ・テボク)が続いた。また左側では、軍部の中心人物である李英鎬(リ・ヨンホ)、金永春(キム・ヨンチュン)、金正角(キム・ジョンガク)が護衛した。

韓国統一省関係者は、「金正日の葬儀期間の弔問序列は葬儀委員名簿の順ではない場合が幾度かあった。しかし、テレビで中継された告別式で金正日のすぐ後ろに立つ張成沢の姿はこれまで見せていない場面であるため、さまざまな解釈が可能である」と述べた。このため、北朝鮮権力の第二者であることを示す公式声明に他ならないという分析が出ている。

霊柩車の後方には、金正日が生前好んで乗っていた黒いベンツ約30台が続いた。金正日が乗っていた車という点を考えれば、車内には運転手の他に誰も乗っていなかった可能性が高い。

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また、黒い車両の後ろには葬儀議員らが乗った白い外車数十台が続いた。普段、金正日は白い車を好まないと言われてきたこともあり、白い車が後に続いたのが意外である。

ある脱北者はこれについて、「白い車に赤だけ塗ると日本の国旗のようだとし、北朝鮮には白い車がない。しかし、金正恩の母・高ヨンヒ(コ・ヨンヒ)が日本出身であるという点から金正恩は白い車両に対する拒否感がなく、金正恩の指示に従ったものと考えられる」と述べた。

◆平壌市民いっせいに嗚咽?

錦繍山記念宮殿の前には朝鮮人民軍、労働赤衛隊儀仗(ぎじょう)兵と陸海空軍の兵士数百人が並んだ。

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霊柩車が人民軍の前に達し、軍旗手たちが軍旗を前に倒すと、名誉儀仗隊長が出迎え報告をした。続いて、人民軍の序列が進むと金正恩も挙手敬礼で答えた。

霊柩車が錦繍山記念宮殿の前を通過する際に、朝鮮人民軍協奏団が1号行事の際にのみ演奏する追悼歌を演奏した。霊柩車が宮殿前を抜けると人民分協奏団と思われる女性軍官たちが嗚咽する姿を見せた。

この日の午前9時から告別式に動員された平壌市民と軍人たちは、氷点下の寒さの中で金正日の霊柩車が過ぎるのだけを待った。金正日の霊柩車はこの日の午後2時を越えて錦繍山記念宮殿を出発し、平壌市内を一周した。

霊柩車が平壌市内を通る際、平壌市民らはいっせいに号泣した。前列に立っている人であるほど過度に嗚咽し、後列に行くほど反応は低かった。後列の人々は、横の人の様子をうかがったりしていた。金日成の死亡当時とは異なる風景だ。

霊柩車の移動経路は、金星通り→ピパ通り→革新通り→英雄通り→忠誠の橋→統一通り→青年通り→玉流館橋→金日成広場→凱旋門→金日成競技場→金星通りを経て、錦繍山記念宮殿に戻って来る。霊柩車の移動経路は金日成の死亡当時と同じだ。

一方、遺体を運ぶ行列は軍楽隊の車両が先頭で「金正日将軍の歌」と葬送曲などを演奏した。