人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

27日に開幕した’第2次南北国防相会談’で、韓国側の首席代表であるキム・ジャンス国防相のカウンターパートである、北朝鮮側人民武力部長に対して関心が集められている。

キム武力部長は、労働党中央軍事委員会委員兼国防委元会副委員長、最高人民会議第11期代議員の肩書きも持っている。海軍出身で人民武力部長にまで上がった珍しい経歴の持ち主だ。

キム武力部長は、2000年9月、済州島で開かれた第1次南北国防相会談にも北朝鮮側首席代表として参加した事があり、韓国でもよく知られた人物だ。当時、彼は板門店の陸路を経て南行、済州島でチョ・ソンf国防相と分断以後、史上初めて南北間国防相会談を行った。

1933年、平壌で生まれた彼は、革命遺児教育機関である万景台革命学院と海軍大学を卒業した後、1962年ソ連海軍大学に留学した。帰国するやいなや、海軍司令部副参謀長(1968年)に任命され、3年後には参謀長(1971年)と副指令官(1974年) などの要職を歴任し、余勢を駆って勝った。

1982年6月、中将の時、海軍司令官に起用され、1985年8月上将、1992年には大将に昇進した。1997年 4月、副元帥進級とともにキム・ガンジン副帥の後任として、人民武力部第1副部長に任命された。1998年、北朝鮮最高権力機関である国防委元会副委員長に登りつめた彼は、その年、人民武力将(2000年 9月以後から ‘人民武力部長’)に登りつめた。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

当時、海軍出身では初の人民武力将に抜擢された背景に対して、空軍出身であるチョ・ミョンロク(79) 総政治局長と陸軍出身のキム・ギョクシキ総参謀長などと均衡をとろうとする布石であうと分析されたりもした。

長い間、海軍に携わったキム武力部長は、海軍の現代化を主導、現代的な海軍艦艇と大型潜水艦(2000t級)の 建造及び水中地下坑道期だ建設にも力を注ぎ、金日成主席の信任を得たことと知られている。彼は1997年、人民武力部第1副部長に上がる直前まで、17年間海軍司令官を勤めた海軍通だ。

額が禿げて、ちょっと矮小な体つきだが仕事欲が強いほうで、性格は内気であるそうだ。済州、国防長官会談でも話題になったが、斗酒不辞するほどお酒が好きなほうだという話だ。