早朝に延安埠頭を出発した旅客船は、2時間30分程強い波に揺られた後、目的地である延坪島に到着した。北朝鮮の延坪島砲撃1周年に際して訪ねたこの場所は海兵隊員達と記者、そして訪問客でごったがえしていた。
延坪島の船着場に降りてすぐに目をひいたのは、北朝鮮の砲撃で禿山になってしまった裏山だった。当時の凄惨で差し迫った状況を推し量ることが出来た。村のあちこちに今も砲撃当時の痕跡が残っていた。
村を見渡していると、延坪初等学校の塀にかかった「砲撃の化学煙を、平和の花の香りにして送り返します」という垂れ幕が目に入った。近くに行ってみると、学校の塀には延坪初等学校の学生達と海兵隊員達が絵の具と色鉛筆で飾った石が置いてあった。
そのうちの一つには「南と北が1日も早く統一して、平和が守られますように」と書かれていた。子供達の純粋な心から出てくるこういった言葉達が、延坪島の復旧のために小さな力と希望になっているようであった。
島をまわる最中、住民よりも軍人に出会うことが多かった。ヘリコプターと軍用車が常時村を巡回し、復旧作業を手伝ったり村人の要望を把握しているという。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面道端で出会った延坪中学校のある女学生は「砲撃当時は、いつも行われている射撃訓練だと思った。今でも射撃訓練が行われる時は(訓練だということを)分かっていてもビクビクしてしまう」と言った。
特に取材中に訪ねた被曝当時の住居地域は、全ての物がめちゃくちゃだった。何一つとして元の姿をとどめているものがなかった。
これまで6.25戦争(朝鮮戦争)と延坪海鮮、天安艦爆沈事件等、北朝鮮の攻撃による被害を新聞でしか知らなかったが、こうして現場に来ることで、その時の惨状をリアルに感じることが出来た。元々何だったのかさえわからない物達、足下で割れるガラスの破片等を直接この目で見てショックを受けた。
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「外傷後ストレス障害」に悩まされているという住民、雷の音にも驚いて隠れてしまうという子犬達の話等は、徐々に忘れられつつあった延坪島に対する記憶を今一度思い起こさせた。
延坪島の砲撃でワタリガニ漁が中断され、住民達の生活も莫大な被害を受けた。また、住宅の破損で最低限の生活も出来なくなってしまった。140人余りの学生達は、一番勉強をしなければいけない時期にきちんとした教育を受けることが出来なかった。
北朝鮮の無謀な挑発が、筆者が今住んでいるソウルで起こったとしたら、また故郷である釜山で起こったとしたら、筆者の生活と家族にどんな影響が及んだかを考えるととても恐ろしい。今回の延坪島砲撃現場の取材は、北朝鮮が私の人生に直接影響を与えるはずがないといういつもの単純な考えと緩んだ安保意識を、今一度引き締めることの出来た機会であった。