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南北は世界で唯一の分断国家であるが、南北は同じ民族である。韓国人はこのような主張を自明の理の如く何気なく繰り返している。政治団体やマスコミも似たような主張が多い。厳密に言えば、大韓民国憲法によると南北は1つの国である。韓国国民のほとんどは「南と北は国が違うが同じ民族だ」という意識を持っている。

しかし、南と北がなぜ同じ民族なのかと聞くと、変な質問と受け止められる様だ。言語と文化も似ており、数十年前までは1つの国家だったのだから、当然に同じ民族だと考える。しかし、世界の歴史を見ると、南北のように言語と文化が似ているが、それぞれを明らかに異なる民族と認識する事例が予想よりも多い。

例えば、ドイツは統一したが、ドイツ語を使用する国はドイツだけではない。オーストリアもドイツ語を使い、スイスも人口の72%がドイツ語を母国語としている。しかし、オーストリア国民も、スイス国民も自分たちを分断国家の国民として考えておらず、ドイツとの統一を望んではいない。
 
これは珍しい事例ではない。中南米諸国の多くはスペイン語を使用い文化的にも似ている。これらの国の国境を定めたのは、スペイン帝国の崩壊と、革命軍閥の闘争過程、植民地時代の行政の国「の名残などである。

また、それぞれの民族意識が強く、戦争を行った歴史も持っている。今南米で政治的な統一を志向する勢力は全くいない。アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダなどは英語を使用する国家だが、同じ民族ではない。

中東のアラブ諸国も同じ言語とイスラムを中心とする文化にもかかわらず、国家の統一を望んでいない。これらの事例を見ると、言語や文化の共有が無条件に同じ民族であるという要因ではない。

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それでは何が要因となるのだろうか?民族主義歴史研究の分野で最高の専門家と呼ばれるアンダーソン(Benedict Richard O’Gorman Anderson)教授は、民族を「想像の共同体」と呼ぶ。言い換えるなら、民族は共有された言語や文化などの物質的なものよりも、共有された意識によって形成されるという事である。

民族とは、まず最初に民族に属する人々の頭の中に存在する。もちろん、言語や歴史的経験の共有は、民族の理念の形成に少なからぬ影響を及ぼしているが決定的ではないかもしれない。

この様な立場から見るなら、南北は同じ民族と見ることが出来る。南も北も、国民が自分を同じ民族とみなす理由として判断することができる。韓国社会の内部的な政治的対立にもかかわらず、全ての政治勢力は統一を目指すべきだと主張する。

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韓国の進歩も保守も、統一の必要性に疑問を表示しない。国会議員などの政治家が、我が国に統一は必要ないと公開的に言うならば、これは政界引退宣言と言っても過言ではない。

しかし、韓国の雰囲気を見る限り、統一への支持が下がっているのが見受けられる。理由は明白である。民族意識は同じ経験によって再生産されるのだが、南北のように日常生活の経験が違う隣国は、世界的にも珍しいからだ。

1990年代、北朝鮮は大飢餓の時代だったが、韓国ではダイエットが話題となった時代である。1990年代に北朝鮮経済が崩壊した際に韓国の国民所得には影響を与えなかったが、遠い異国のタイで発生した通貨危機は、韓国経済を揺れ動かした。

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同時に、年月が経つほどに南北の個人的な関係も弱まっている。分断惨劇の象徴の離散家族問題を見ると、現在北朝鮮に残っている友人、家族と直接的に関係がある人は75歳以上の高齢者らだ。10年以上の時が経てば、韓国で北朝鮮という国を直接経験し、北朝鮮の人々と個人的に接触したことのある人々は脱北者だけになるだろう。

特に、若者の間では北朝鮮に対する関心が著しく低下している。40〜70歳の韓国人は北朝鮮を直接経験した事がないが、北朝鮮問題が国内政治と直結した経験があり、北朝鮮に対する強い意識を持っている。60歳以上の場合、朝鮮戦争の記憶と滅共統一教育を受けた影響もあり、関心は比較的に多い。

次の世代の386世代は左翼学生運動の色合いが強く、1980年代には金日成独裁に対して多くの幻想を抱いていたが、この幻想から醒めていようがいまいが、ある程度の関心は持っている。しかし、40歳以下の世代は関心がない。

この世代にとって、北朝鮮は日常生活に何の影響も与える事がなく、時折問題を起こす隣国に過ぎない。歳月が経つほど、この傾向はよりはっきりと強くなるようだ。

ドイツ統一の苦い経験が韓国に伝わると、多くの韓国国民は統一を民族の理念の実現よりは、経済的な災難の始まりと見る傾向が生まれた。ドイツ式の統一を行うなら、韓国経済は甚大な被害を受けるとの論理がセオリーとなってしまった。

確かに韓国人も学校では「統一は私たちの願い」と教育を受けるが、費用問題などが原因で統一は遅いほど良いと考える人々が多くなっている。