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金正日の三男金正恩は、2010年10月10日の党創立65周年記念閲兵式を金正日と共に主席壇で観覧した。

9月28日の第3回党代表者会で人民軍大将階級を授与され党中央軍事委員会副委員長に就任し、後継者に指名された直後だった。金氏王朝の3代世襲が公式かされ、旧ソ連の政治的影響力の下で創立された朝鮮労働党は、金日成・金正日を経て、3代目の金正恩にバトンタッチされた瞬間だった。あれから1年が過ぎた。

金正恩は軍隊の掌握に集中してきた様だ。昨年9月2 8日から現在まで、金正恩は金正日の公開活動152回のうち100回を随行している。軍事分野での活動が26回と最も多かった。また、上級管理者を粛清し、自身への忠誠心が高い30〜40代を指揮官に座らせた。

軍の実権を掌握した金正恩は、2010年11月23日に韓国への武力挑発を敢行した。韓国の領土である延坪島に向けて170発の砲撃を行った。金正恩は自身が軍の実権を握っているという事、20代の若造ではない芯の太い大将であるという事、銃で李明博政権の対北政策を変える事が出来るという事、2012年強盛大国建設の適任者は自身であるという事を示す為などの複合的な意図が伺えるが、それぞれの意図は1つに集約される。それは3代世襲の成功である。

党組織指導部の掌握を通じて国家安全保衛部や人民保安部などの治安機関の掌握も行うなど、組織基盤を着実に固めた。作業の邪魔になる人物は粛清した。国家保衛部の実力者として知られる柳敬(リュ・ギョン)副部長をスパイ罪で処刑された。朱霜成(チュ・サンャ刀j民保安部長と李泰男(リ・テナム)副首相も関与した疑いで解任された。

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住民統制の強化も行われた。『1118常務』という特別な検閲隊を構成し、一般住民、軍、保安機関や党幹部までも検閲・統制した。北朝鮮内部では、いわゆる『韓国風』に対する強烈な取り締まりが行われ、脱北成功者数が大幅に減った。このため、公開処刑が8倍以上に増えたとの報道も行われている。

金正恩の偶像化作業が露骨に進行された。金正恩偉大性教養資料を制作・全国に配布し、これを学校や職場で教育した。金正恩の現地訪問を記念した大将福の記念碑の設立も開始された。金正恩を賛美する教科書の発行も行われた。今年初めに開かれた上海国際芸術展に金正恩肖像画が出品されている。

外交舞台での後継授業も開始された。金正恩は、昨年10月に訪朝した中国高位軍事代表団と金正日が面談した際に同席した。北朝鮮当局はこの事実をメディアに公開した。これは異例だった。9月には訪朝中のラオスのチュンマリ大統領と金正日の首脳会談にも同席した。チュンマリ大統領と金正日・金正恩が並んで座った写真が報道された。

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党代表者会直後までは、金正恩の名前は党中央委員会政治局常務委員らの金永南(キム・ヨンナム)、崔永林(チェ・ヨンリム)、李英鎬らの次に呼名されたが、昨年11月7日の趙明?iチョ・ミョンロク)国防委員会第1副委員長の葬式の際には、国章葬儀委員会名簿で金正日の直後に言及された。今年9月の共和国創立日には、金正日、金永南の次に呼名された。

この1年間の後継作業で目立つのは、後継構築方法が過去の方法と一寸の違いもないことである。軍などの暴力組織を掌握と政治障害物をを粛清、住民を物理的に制御し大々的な偶像化作業を行う。40年前の金正日の後継構築過程と全く同じ姿である。

40年前は社会主義が健在だった。北朝鮮住民も社会主義建設の熱気と指導部への忠実性が存在していた。飢死にする人もいなかった。あの時代は、党内の権力基盤を確固とするだけで後継体制の構築が可能であった。しかし、時代は変わった。地球上の半分を占めていた社会主義は全て崩壊した。北朝鮮は社会主義強盛大国だと自任しているが、北朝鮮の社会主義は1990年代に崩壊している。

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住民に配給を与える事が出来ない社会主義は、社会主義社会ではない。社会主義体制が崩壊し、社会主義に対する住民の信念も指導部への忠誠心も消え去った。北朝鮮住民に残ったのは、食べて生きるための欲求と北朝鮮独裁体制の暴力への恐怖だけだ。このような状況で、食の問題を解決する方策を持たない後継者の地位は常に危険である。