故・黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)元朝鮮民主化委員会委員長(元朝鮮労働党書記)は、1997年に韓国に亡命して以降、脱北者や北朝鮮民主化運動家らには、精神的な柱、師として仰がれていたが、身よりもなければ、気の置けない友人もいなかった。

そんな黄氏のもとを、長老会神学大学名誉教授のチュ・ソネ氏が訪れたのは2002年のことだった。今月6日、ソウル市内の戦争記念館で開かれた黄長ヨプ委員長追悼文化行事でチュ教授は「同郷の同年輩の知人として会いに行った」と述べ、黄氏との初めての出会いを述懐した。この時には、平壌のチョンウィ女子高同窓会長も同席した。

チュ教授:私は(平壌の)ヤンチョンでよく遊びました。黄先生、ヤンチョンをご存知ですか?

黄長ヨプ氏:知っていますよ。家から近かったですから。私もそこでよく遊びました

その後、チュ教授は、毎週土曜日の朝に黄氏に会いに行った。行くたびに両手いっぱいのおかずを用意していったという。チュ教授は「黄先生は、目が大きくてきっぱりとしていた。好き嫌いがはっきりしていた。また、憂鬱な雰囲気が漂っており、緊張してるようだった。神経質な方で交友関係が広い人ではなさそうだった」と、黄氏に対する第一印象を明らかにした。

「黄先生は、穀物を絶対にお食べにならなかった。堅果類、魚、肉類を主に食べられた。以前には、生物も食べられたという。私が作った料理の中で一番気に入られていたのは、ステーキやチキンだった」と述べた。

チュ教授は、毎週黄氏と会い、些細な頼みも全て聞いたという。韓国の事情を知らない黄氏に生活必需品やビタミン、本などを差し入れた。チュ教授は、自宅で7〜8回に渡って黄氏の誕生日を行うほど、二人は意気投合した。

黄氏がこの世を去る直前の2010年6月、初めてチュ教授の誕生日を祝ってくれたという。

チュ教授は「今思えば、亡くなることを事前にお知りになったのではと思う。黄先生は、脱北者、政治家、政府関係者との会話は多かったが、自然体で話が出来る友人がいなかった。友人と言えるのは私しかいなかった。同年代でもあり、それで私を信頼されたようだ」と話した。

チュ教授は黄氏にキリスト教を伝導しようとした。黄氏は「チュ教授の影響で食事の前に祈るようになった」「毎朝祈る様になった」と話す様になった。

これを聞いたチュ教授は、「本当ですか?」と尋ね、黄氏は「毎朝、チュ教授と話のも祈りではないですか?」と答えた。

チュ教授は「黄先生は無神論者だったが、キリスト教が好きだった。率直に言って、先生が神を受け入れたのかは分からないが、関心は高かった。時折、先生の机の上には聖書が置かれていた。主体思想とキリスト教を融合させようとする試みではと考えたりもした」と話した。

しかし、黄氏が韓国のキリスト教界に大きく失望をする事件が起きた。天安艦事件後、チュ教授が主催した高位級牧師との席で「移民をしなければならない」という発言を聞いたからだ。

チュ教授は「黄先生は憤慨された。『キリスト教の指導者という人物が、あの様な話をしてよいのか』と興奮しながら述べた。また、ハン・サンヨル牧師とキリスト教を関連させながら『キリスト教は(北朝鮮に)民主主義の種を植えることができると思ったのに…』と述べ、落胆していた」と明らかにした。

「落ち込んだ黄先生を私や他の牧師たちが励ます為に気を使った。避難しなければならないという発言に、相当な衝撃を受けた様子だった」と当時の状況を振り返った。

続いて「米ディフェンスフォーラムのスーザン・ショルティ氏も、黄先生に伝道する為に多くの努力をした。4枚の手紙に『チュチェ思想よりもキリスト教が北朝鮮民主化に役立つ』と述べ、説得しようとした。しかし、その一言に大きく落胆したようだった」と回想した。