「朝鮮戦争の際に行き別れた母は、毎日食卓に私のスプーンを置いていました。夜には私の布団を敷き帰りを待ちわびていたといいます。息子の顔を再び見る事なく、亡くなってしまいました」

2010年11月の南北離散家族再会事業の再、キム某さんが60年ぶりに再開した妹から聞いた、生前の母の様子である。キムさんは朝鮮戦争の際に、故郷の咸鏡北道・豊山群から避難する為に単独で南下し、その後、家族と生き別れになった。

妹から母親の話を伝え聞いた瞬間、キムさんの目からはこれまで我慢してきた涙がとめどなくあふれた。母を思うと涙が止まらなかったという。妹と二人で母親の墓参りをするのが夢だという。

キムさんは「顔がわからなくなるぐらいに長い歳月が過ぎたが、妹に会った瞬間に血縁だと感じた。母は死ぬ直前まで、私に会いたいと言っていたと聞きました」と話した。母の最期を見届けられなかった

昨年、紆余曲折の末に妹と再開したが、秋夕を迎えたキムさんの胸中は複雑だ。60年ぶりに会った妹と一緒に名節を過ごすことができないからだ。何よりも、故郷の両親の墓参りをすることができないのが、最大の痛みだ。

キムさんは「名節に家族で墓参りに通う姿がとても羨ましい。秋夕が近づくと故郷への思いがこみ上げてくる。死ぬ前に妹と母の墓に墓参りがしたいです。親不孝者の私がやって来たと、両親に伝えたい…」と慟哭した。

キムさんは、唯一の肉親である妹との再開を諦めていない。いつの日か統一が達成されれば、妹と共に暮らせる日が来ると信じている。

昨年の再会から1年余りが経ったが、まだあの日の喜びは色あせていないという。「昨年に妹に会うことができるという知らせを受けた後、眠ることが出来なかった。妹の事を考えてばかりだった。60年は言葉に表しがたい程に長い」と述べた。

「再開の日は朝から快晴でした。60年ぶりの再開に天も微笑んでくれたようです。妹と故郷と生きわかれた場所を確認しあった際に、確信を得ました。お互い抱きあって泣きじゃくっていました。1時間の再会時間がとても短く感じられ、10分のようでした」

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