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北朝鮮の最北端、咸鏡北道(ハムギョンブクト)穏城(オンソン)郡。中国との国境を流れる豆満江のすぐそばには、海抜239メートルの旺載山(ワンジェサン)がある。

この地は1933年3月11日、後に主席になる金日成氏が、川を越えて当時の日本の植民地支配下にあった穏城に入り、抗日パルチザン闘争を朝鮮にも拡大する戦略を示した「旺載山会議」が開かれたところ、というのが北朝鮮の公式の歴史だ。一帯は旺載山革命史跡地に指定され、多くの人が踏事(聖地巡礼)に訪れる。

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チュチェ(主体)思想を象徴する烽火をかたどった高さ66メートルの塔が建てられ、その周りには、両脇に少年と少女を抱いた金日成氏に、パルチザン兵士や労働者、農民などが従うような構図の群像が設置され、その様子は対岸の中国からもうかがえる。

「民族の太陽」と呼ばれていることから、長年続く電力難の中でも、ライトアップするために最優先で電気が供給されるなど、整備に莫大なリソースが割かれている。

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電気だけでなく、銅像や革命史跡地を支えているのは人力だ。寒空の中、若者たちが革命史跡地に向かう道の雪かきに動員されたのだが、多くが凍傷に苦しんでいると、現地のデイリーNK内部情報筋が伝えた。

新年早々、現地には大雪が降り、積雪が膝ほどの高さに達した。1号道路(金正恩総書記が利用する道路)や革命史跡地に向かう道も雪に埋もれてしまったが、金日成金正日主義青年同盟の若者たちが雪かきに動員された。

「元帥様(金正恩氏)がこの道を通っておこしになるかもしれない。明日にも1号道路を使って現地指導に来られるかもしれないので、青年たちは高い忠誠心を持って雪かきに臨もう」(青年同盟)

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もちろん、除雪に便利なスノーダンプがあるわけでも、ホイールローダーがあるわけでもない。雪が積もれば革命史跡地でなくとも、人々は力を合わせてスコップやシャベルで雪かきをする。しかし、新型コロナウイルスの超特級非常防疫措置が発動中の今、一般住民を駆り出すわけにはいかず、青年同盟の若者たちだけが動員されたというわけだ。

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しかし、革命史跡地から1号道路までは片道4時間の道のり。若者たちは明け方4時から赤い旗を掲げ、隊列を組んで現場に向かって雪をかき、戻ってくるころにはすっかり日が暮れた後になるという。

人手が足りず、作業が数日続けられたが、生活の苦しい若者たちは防寒用の靴下や靴を持っていない。また、現場には暖を取りつつ休憩する場所もない。そんな状態で長時間雪かきを続けた結果、風邪を引いたり、凍傷にかかったりと満身創痍になってしまった。

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発熱でもしたら、コロナの疑いをかけられ、たちまち隔離されてしまうだろう。

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情報筋は具体的にどれほどの凍傷にかかったかについて触れていないが、仕事に出られないほどだというので、かなり深刻なようだ。まともな治療も受けられず、民間療法で持ちこたえているような有様だという。

ちなみに内閣機関紙「民主朝鮮」は、2004年1月25日の紙面で凍傷治療法を紹介している。唐辛子粉を入れたぬるま湯に患部を浸ける、お灸をすえる、焼いた土の上に麻の葉やヨモギを乗せて患部を煙でいぶす、豆を入れた袋に患部をつっこんで揉む、そして、犬の骨を焼いた灰をごま油に漬けて患部に塗る、などというものだ。

記事は、凍傷がひどい場合、病院に行くことを勧めているが、国営の人民病院ですら民間療法に頼らなければならないほど、医薬品が不足している状況。まともな治療は望むべくもないだろう。

(参考記事:当直医の死で幕を閉じた北朝鮮「恐怖病棟」での出来事